1960年代後半のカレッジフォークを仕掛け人とともに振り返る

田家秀樹と本城和治



ひこうき雲 / 長谷川きよし

田家:長谷川きよしさんの「ひこうき雲」は1974年4月。荒井由実さんがこの曲を発表したのは1973年11月。すぐですね。

本城:どういう機会でユーミンのアルバムを聴いたのかは分かりませんが、この曲を気に入って。ユーミンが最初にコラボしたのは長谷川きよしなんです。ユーミンが歌詞を書いて彼が曲をつけた「ダンサー」という曲も同じアルバムに入れてるんですね。

田家:なるほどね。

本城:彼がシンガーソングライターで共演する人はそんなにいないんですけど、あとは南正人の曲をよく歌ってました。南正人の「横須賀ブルース」みたいにブルース調の曲を彼は得意としていましたから。そういう意味では共感もあったでしょうね。最近だと椎名林檎さんと共作して共演されていますよね。そういう数少ない共演アーティストの中でもユーミンの歌詞の世界が好きだったみたいですね。

田家:「ひこうき雲」について、ユーミンは他の人にカバーさせないって言ってたそうです。異例のカバーですね。本城さんに今週改めてお訊きしたいのが、関西フォークについてどう思われていたか? ということなんです。

本城:はっきり言えばあまり興味はなかったですね。私は日本の上質なポップスを作りたいという欲がありましたけど、関西フォークはそれとは異質なものだったので。存在は素晴らしいものですけど、私がタッチする音楽じゃないという意識がありました。ただね、マイク眞木をヒットさせたちょっと後くらいに、大阪のラジオ局の人から高石ともやを売り込まれたんです。それはお断りしてしまったんですけどね。マイク眞木やってて、高石ともやはないだろうという感覚もあったので。

田家:この話の続きは、来週も再来週も続きます。

Rolling Stone Japan 編集部

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