1960年代後半のカレッジフォークを仕掛け人とともに振り返る

田家秀樹と本城和治





田家:やっぱりこの曲から始まりますか。

本城:そうですね。私が初めてフォークのレコードを手掛けたのはこれが最初だったので。

田家:フォークソングという言葉は既にご存知だったんですよね?

本城:もちろん、洋楽のモダンフォークはもっと前からありましたし、日本でもキングストン・トリオとか大学生の間でもてはやされていましたからね。それがきっかけで日本の大学生が皆ギターを持つようになっていって。当時はあまりオリジナルがなくて、皆コピーだったんですよね。当時の東京には、ジュニア・ジャンボリーとスチューデント・フェスティバルという二つのフォークの学生団体がありまして。マイク眞木もそこから出てきた人です。

田家:この曲は浜口庫之助さんが作詞・作曲されて、テレビなどで流れるフォークの第一号と紹介されていました。

本城:この曲はマイク眞木のために作られた曲じゃないんです。浜口庫之助さんとしては、この数年前に「涙くんさよなら」という曲をジョニー・ティロットソンのために作って大ヒットするんですね。たぶん浜口庫之助さんは、それに次ぐジョニー・ティロットソンのための曲としてこの曲を作ったんじゃないかと思うんです。それをシンコーミュージックに提供して。ジョニー・ティロットソンをレコード会社で担当していたのが、のちの筒美京平だった。だからこの曲は筒美京平の仕事の中の一部だったと思うんですけど、この曲ができて出版社の方からデモテープを作ろうという時に、のちに出てくるザ・ブロードサイド・フォーと人気を二分していたモダン・フォーク・カルテットからマイク眞木が独立してソロシンガーになるんです。彼の最初のレコードを作るにあたって、この曲が合うんじゃないかということで、デモテープがてらこの曲をレコーディングしたんです。そうしたらすごくぴったりなので、この曲がデビュー曲になりました。本当はジョニー・ティロットソンの曲になる予定だったんですよね。のちに彼が日本語と英語でこの曲を歌ったんですけど、マイク眞木の方がヒットしてそっちは隠れちゃいました(笑)。

田家:なるほど。もしジョニー・ティロットソンがアメリカで歌ってヒットしたら、日本のフォークの歴史は変わっていたかもしれないですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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