1960年代後半のカレッジフォークを仕掛け人とともに振り返る

ランブリン・マン / マイク眞木とザ・マイクス

田家:本日2曲目「ランブリン・マン」。1967年10月発売ですね、この曲は知らなかったです。

本城:これはマイク眞木が結成した、おそらく日本初のフォークロックのグループなんですよ。曲は村井邦彦さんなんです。

田家:これ村井さんなんだ。シタールみたいな音も入ってますね。

本城:本物のシタールです。シタール奏者を連れてきて一緒にやったんです。

田家:マイク眞木さんがこういうことをやろうとしたんですか?

本城:そうですね。彼もソロだけに拘ってませんでしたから。このグループはそんなに長続きしなかったんですけどね。初代のボーカルも女性なんですが、2代目が高田恭子さんなんです。高田恭子さんボーカルでもシングル作って、合計二枚で解散しちゃったんですけどね。この曲のベーシストはザ・ブロードサイド・フォーのベースの横田くんなんです、ロビー和田も参加していますね。2枚目には山内テツが参加していて。

田家:皆すごく有名な方々ですね。GSもフォークも一緒になっていた時代があったということですね。さっき話にも出ましたが、マイク眞木さんは1960年に結成された学生フォークの創世記のスター、モダン・フォーク・カルテット(MFQ)。麻田浩さんなんかも参加しておりました。そういう意味では、GSよりもフォークの方が日本に入ってきたのが早かったということですね。

本城:そうですね。アマチュア活動で終わる人も多かったですけど。たまたまザ・ブロードサイド・フォーはレコードを残してますね。

田家:ザ・マイクスについて調べたら、1967年10月に出た「野ばらの小径」も村井邦彦さん作曲だったんですね。

本城:そうなんです。B面がこの「ランブリン・マン」なんですよ。

田家:シングルAB面が村井さん。GSとフォークが張り合っていた時期はあるんですか?

本城:張り合っていたということもないんじゃないですかね。フォークはそんなにグループとかないですし、活動の場所が一緒ということもなかった。GSはジャズ喫茶がメインの活動場所でしたからね。ザ・マイクスなんかはジャズ喫茶に出てませんでしたし。

田家:それでは学生がやっていたカレッジフォークのスターの曲をご紹介いたします。1966年7月発売、ザ・ブロードサイド・フォーで「若者たち」。

Rolling Stone Japan 編集部

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