シティ・ポップの源流、70年代後半の名曲を本城和治と語る



田家:石川セリさんの6枚目のシングル、1979年7月発売。「ムーンライト・サーファー」。詞曲を書いたのは中村治雄さん。と言ってもお分かりにならない。頭脳警察のPANTAさん。編曲が矢野誠さん。これはPANTAさんにお願いしたんですか?

本城:そうですね。誰かに勧められたんですよ。「PANTAっておもしろいんじゃない?」って。僕、あまり頭脳警察は聴いたことなかったので(笑)。

田家:でしょうね(笑)。

本城:1回会ってみようかなと思って。会って話したら、なかなかおもしろい男でね。彼は結構ガールフォークみたいなのが好きで、非常に興味を持っていて、僕が頭にないようなおもしろい曲を書けるんじゃないかなという予感がして。「じゃあ、書いてみて」って言って、頼んだんです。で、出来上がったのがこの曲だったんですね。

田家:1977年のアルバム、石川セリさん3枚目のアルバム『気まぐれ』の中の名曲ですね。でも、実質的には2枚目のアルバム1976年の『ときどき私は』の次ですが。

本城:セリもPANTAの音楽を気に入って、これからずっとアルバムで書いてもらっているんですよね。それで、結構シングル盤になっているんです。この曲以外にも。「パール・スター」とかね。結局、3枚シングル出してるんじゃないかな、彼の曲で。

田家:PANTAさんがこういう曲を書くというのは、当時のイメージには全くなかったですもんね。

本城:そうですね。本当はユーミンみたいな曲が1番合うなと思っていたんですけどね。

田家:石川セリさんの1976年の『ときどき私は』ですね。ユーミンとか、下田逸郎さんとか、さっき話に出た樋口康雄さんとか、萩田光雄さんとか、瀬尾一三さんとか、佐藤健さんがお書きになっていて。このアルバムの話は来週お訊きしようと思っているんですけど、まあでもPANTAさんはそういう本城さんからの依頼がなかったら、こういう形で作家としては。

本城:そうですよね。あまり他の人に書いたって話聞かないんですけどね。

田家:はい。で、今週はもう一人女性アーティストの話を伺おうと思うのですが、石川セリさんとはタイプが違う大橋純子さん。この「ムーンライト・サーファー」が入っている『気まぐれ』と同じ年に77年に美乃家セントラル・ステイションのアルバムが出て、この話も来週なんですけど。でも、それぞれにイメージが違ったんでしょうね。石川セリさんと大橋純子さんは。

本城:極端に言えば、大橋純子はニューヨーク、東海岸寄りのどっちかと言うと、黒人寄りのポップス。で、石川セリはウエストコースト系のポップスという、色分けをすればね、大雑把に言えばそういう色合いがあったと思うんです。

田家:それは声の質とか?

本城:質感もそうですね。それと、フィーリングも含めてね。だから、大橋純子の方が所謂シティポップス路線というか、そういうあれでしたよね。

田家:今日最後の曲は大橋純子さんの1981年のソロアルバム『ティー・フォー・ティアーズ』から「テレフォン・ナンバー」お聴きいただきます。

Rolling Stone Japan 編集部

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