シティ・ポップの源流、70年代後半の名曲を本城和治と語る

また逢う日まで / 尾崎紀世彦

田家:1971年3月発売。尾崎紀世彦さん「また逢う日まで」、この曲は50周年ということになりますね。作詞が阿久悠さんで、作曲が筒美京平さんです。どんなことを思い出されますか?

本城:尾崎紀世彦を始めたのはビクターからフォノグラムが独立して。それで、私がまず最初に思ったのが、それまで男性のソロシンガーとはあまり縁がなかったんですよね。

田家:あーたしかに。先週まではあまり出てきませんでした。

本城:女性は森山良子を日本一のポップスシンガーにできると思ったので、なんとか男性のポップスシンガーを育成したいなと思ったんです。それで、尾崎を紹介された時にびっくりしたんですよ。「すごい声の人がいるな」と思って。それから、歌唱力と。それでもう、ぜひこれをやりたいと。すぐ契約しましたね。

田家:それはどこかに歌っているところを観に行かれた?

本城:あ、そうです。出版社の日音さんの紹介で、六本木のサパークラブで彼が歌っているのを聴かせてもらったんです。他の会社で話を進めていたらしいのですが、結論がなかなか出なかったので引き受けたいって。「うちでやるよ」って言って。

田家:この「また逢う日まで」はその前にズー・ニー・ヴーが歌っていたというのもありましたけど。

本城:ああ、そうですね。「ひとりの悲しみ」っていうタイトルでね。私、その曲知らなかったんですけどね。一弾目は京平さんでやって、二弾目をやる時に「どういう曲にしようか」っていう打ち合わせをやった時に、今は亡き日音の村上さんから「実はこういう曲があるんだけれども」というので聴かせてもらったのが「ひとりの悲しみ」で。これは尾崎にぴったりだなと思って。「じゃあ、これやりましょうよ」と。ただ、詞を変えてやらなきゃいかんと。この詞だけじゃちょっと地味だし。

田家:あ、詞は変えたんですね。なるほどね。

本城:それで阿久さんにね、「サウンドの方は僕が受けますから、詞は村上さん、阿久さんと交渉してよ」って言って。ところが、阿久さんがなかなか了解しなくて。大変だったんですよ。

田家:オリジナルも阿久さんだったんですか。

本城:そうです。もうギリギリまで阿久さんも悩んだらしくて。

田家:サウンド面の筒美さんとの話し合いはどのようにやったんですか?

本城:それは別にアレンジは抜群だったので、このままいきましょうよってそのままその譜面を使わせてもらってます。

田家:やっぱり、ホーンが入ったりしているみたいな感じが。

本城:はい、そうです。あのイントロ、そのままほとんど変わってないと思いますよ。

田家:いやーこれはもう、みんなびっくりしましたもんね。さて、この次の曲も今日は本城さんが選ばれております。1971年7月発売、3枚目のシングル「さよならをもう一度」。

Rolling Stone Japan 編集部

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