シティ・ポップの源流、70年代後半の名曲を本城和治と語る

田家秀樹と本城和治



さよならをもう一度 / 尾崎紀世彦

田家:1971年7月発売、尾崎紀世彦さん「さよならをもう一度」。スケールの大きい曲だなと思いますが、作詞が阿久悠さんで、作曲が川口真さん。「人形の家」の川口さんです。

本城:川口さんはアレンジャーとしては随分お世話になって、テンプターズに曲を書いていただいていた。良いセンスをされていたのですが、京平さんの「また逢う日まで」とちょっと気分を変えて、「バラードの名曲を作ろう」で、布施明を打倒しようと(笑)。

田家:そうなんだ(笑)。打倒布施明だった。たしかに。「また逢う日まで」は、曲というのは、それを歌うべき人に出会わないと、名曲にならないという典型的な例かもしれませんね。

本城:それは言えますね。たしかに。

田家:他の人が歌ったら、ダメなんでしょうね。

本城:と、思います。

田家:この「さよならをもう一度」と「また逢う日まで」が出た1971年はGSが終わった年。完全に終わった年ですね。そういう世の中が変わっているなってことは、いろいろお感じになったりもされてたんですか?

本城:まあ、感じました、当然ね。会社も変わりました。

田家:ああ、そうか。フィリップス・レコードがビクターから独立して、日本フォノグラムになった。

本城:やっぱり70年代ということで、音楽の流れも変わっていくだろうという予兆はありましたね。

田家:それはある種のアンテナみたいなものがあったんですか?

本城:そうですね。ただ、ロックと言っても、当時は、結局ハードロックみたいなものがメジャーになるかどうかというのは、なかなか見極めが難しいというか。それはGSとのいろいろな経験もありましたしね。ただ、音楽的には新しいものをやっていきたいというので、アルバムで“ニューミュージックシリーズ”という、新しいシリーズを作ったんですよ。それはジャンルこだわらずにジャズもロックも入れたシリーズだったんです。ニューミュージックという言葉はそれとは別に使われるようになっていったんですけど。

田家:え、ニューミュージックシリーズ。そうなんですか。

本城:要するに新しい音楽をやっていこうという意思を表明したんですけれどもね。そこでちょうどいろいろな縁があって、ジャズの菊地雅章というピアニストと契約して、そこでは新しいジャズを作っていく。一方、ちょっと新しいロックというのを模索し始めて。そこでレーベルもロックに関してはヴァーティゴというレーベルを立ち上げたりしたんです。

田家:次にお送りするこの曲というのはそういう流れの中では、かなり早い段階の曲になるんですか?

本城:そうですね。私担当以外にも、ロックを始めた人たちもいましたけれども。私はたまたまそれまでの人脈というか、自然な流れで、学生時代に知り合った成毛滋くんとか、ジャズで菊地雅章をやった時に渡部貞夫カルテットと菊地雅章セクテットと合同のアルバムを2枚組で作ったんです。その時、渡部貞夫さんのカルテットのドラムを叩いたのはつのだ☆ひろだったので。つのだ☆ひろとも親しくなって、そしたら成毛くんとつのだ☆ひろが、一緒にグループを、新しいロックをやりたいと相談に来た。

田家:で、次の曲が生まれた。

本城:はい、そうです。

田家:これね、誰が歌っているかは知らなくても曲は知っているという例ですね、典型的な曲でしょうね。1971年6月発売STRAWBERRY PATHで「メリー・ジェーン」。

Rolling Stone Japan 編集部

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