シティ・ポップの源流、70年代後半の名曲を本城和治と語る

メリー・ジェーン / STRAWBERRY PATH

田家:自分の番組でこの曲を流せているということに多少感極まっておりますけれども、1971年の6月発売、STRAWBERRY PATHで「メリー・ジェーン」。1971年オリジナルです。

本城:これ発売されて、日本人が歌っているって思った人、あまりいなかったみたいですね。

田家:いなかったでしょうね。

本城:有線放送でまず火がついたんですけどね。

田家:慶應のバンド、ザ・フィンガーズのギタリスト成毛滋さん、そして渡部貞夫さんのところにいたつのだ☆ひろさん。これ、最初に聴かれた時はどう思われたんですか?

本城:アルバムとしては要するにハードロックアルバムを作るということで、その中の息抜きと言うと悪いんですけども、バラードを1曲入れようと。シングルカットする時に最初A面は別の曲を選んだんですよ。その中の1番ハードロックらしいポップな曲で、「マイ・ジプシー・ウーマン」という曲があって。それは柳ジョージがソロを歌っていたんです。柳ジョージをゲストで入れていたんですね。

田家:やっぱり。柳ジョージがいたという噂は聞いたことあって(笑)。

本城:ええ。ゲストで成毛くんが引っ張ってきて、それで歌ってもらったんです。それで、編成会議で「メリー・ジェーン」をB面にしたら、「やっぱりこっちが名曲だから、こっちをA面にしましょうよ」って言うので、ひっくり返って「メリー・ジェーン」がA面になったんです。

田家:いやー、でもこんな日本の歌なかったですもんね。『大烏が地球にやってきた日』のライナーを後に作家になる景山民夫さんが書いてたという。

本城:ああ、そうですね。成毛くんの親友だったんですね。

田家:慶應ですからね。

本城:ええ。そういう縁で。スタジオにも遊びに来てましたけども。

田家:で、このSTRAWBERRY PATHが母体になって生まれたのが、バンド、フライド・エッグ。このへんからロックシーンの中で名前が登場するという、そういう流れですね。フライド・エッグは成毛滋さん、つのだ☆ひろさん、高中正義さん、高中さんはベースでありました。本城さんが選ばれた今日の5曲目。デビューシングル72年2月発売「サムデイ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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