GSとカレッジフォークの仕掛け人・本城和治と振り返る、ジャンルを越えた名盤

さとうきび畑 (1969年バージョン) / 森山良子

田家:この曲で思われるのはどういうことですか?

本城:これ、レコーディングやる時は結構緊張しましたね。

田家:1969年。

本城:なんせ長い曲なんでね、途中で失敗したら大変だなと思いながら。全部同録ですから。たしか2テイク録って、2テイク目でオッケー。1回目も悪くなかったんですけど。さすが森山良子だと思いました。

田家:1964年に寺島尚彦さんが歌われた。

本城:そうですね。たまたま彼女が寺島さんと家が近かったみたいなので、顔見知りだったらしいです。散歩がてら彼女の家に寄って、譜面を置いていったのがこの曲だった。たまたま森山良子が、私の企画アルバムでカレッジフォーク的な曲を集めた時にこの曲を彼女が思い出して。「こういう曲があるんだけど」って僕に持ってきたんですよ。すごく良い曲だなと思って。

田家:本城さんは1939年生まれでらっしゃるわけで、戦争の記憶っておありになりますか。

本城:ほとんどないんですけど、防空壕に潜ったような記憶はあります。それから、疎開の記憶はあります。

田家:この歌が歌い継がれるということで、あらためて思われるのはどんなことでしょう。

本城:森山良子という歌手を得て、こういう曲を世に知ら示すことができた。この曲と同時に同じアルバムで武満徹さんの「死んだ男の残したものは」という曲もやっているんですよ。あれも非常に反戦的メッセージの名曲で。この2曲は森山良子の歌もすごく素晴らしいし、反戦歌というのを越えて、日本の名曲として残したい思いがすごい強いです。時代を越えて残る曲を、記録として残せたのはうれしいですし、それをある程度広く知らしめることができたのはこういう仕事をやっていて、1番うれしいことですね。

田家:今月50曲ということで、5週間お話を訊かせていただいたのですが、残したいこと、語りたいこと、これだけは言っておきたいことはおありになりますか?

本城:私は歌を流行らせたいというより、良い歌を世の中に残したいというつもりでずっとやってきたので、そういうことができた時代に、こういう仕事ができて非常に幸せだったなと今感じています。

田家:それを伝えていくのが僕らの役割でもあるんだろうと思っています。ありがとうございました。

本城:どうもありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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