「泉谷しげる50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人と振り返るエレックレコードの名盤



田家:これであちこちに乱入したんですよね?

泉谷:「出させてくれ」って自分で行って、レコード会社はこの頃は仮契約レベルだったんじゃないかなと思うんです。別に会社に相談したとか、そういうレベルではなく、ライブが好きだったんで。

田家:相談したら、やめろって言われますよね(笑)。

泉谷:そうです(笑)。だから、「頼む、出させてくれ、1曲でいいから」って主催者に。「お前なんかおもしろそうだから、出ろ」っていう。あの時の言葉はとても忘れられない。先輩にあたる人たちが、主催していて、おもしろければ出しちゃうみたいなところがすごいなと思いましたね。今は事務所だとなんだって、いろいろコンプライアンスがあってさ。俺もいつか、おもしろいやつに場を作ってあげるという大人にならないといけないなと思ったな。

田家:それが阿蘇ロックにも繋がるんだろうと思いますね。「戦争小唄」もアドリブっぽく作ったんですね。

泉谷:完全にアドリブです。これは当時ベトナム戦争がまだ終わってませんのでね。

田家:1975年ですからね。

泉谷:終わったのはね。これはちょっと前ですから。なので、戦争の歌さえ歌っていれば、盛り上がるだろうみたいな(笑)。

田家:でも、普遍的な歌ですよ、これも。

泉谷:そうそう、ほとんどその場でやっているんですよ。

田家:そういうエレックのデビュー自体が、とても思いがけないと言うと失礼ですけど、エレックに持ち込んだ古井戸とピピ&コットのカセットの最後にちょっと泉谷さんが入っていた。

泉谷:本当にそう。テープが残っているから、ちょっと入れておくかって言ったら、ぶつっと切れて。また新たにちゃんと作ろうってなった時も、やっぱり同じように途中で切れているんですよ。

田家:ちょっと残ってた。「会いたい」って言ったのが浅沼勇さん?

泉谷:そうらしいですね。まあ、社長なのか、浅沼さんなのかちょっとそこは。2人ともいたんで。

田家:あ、永野さん。

泉谷:そうそう。だから、こいつを連れて来いってことになったみたいですね。

田家:エレックレコードはURCと並ぶ、インディーズの走りですが、もともとギターの教則本の会社で。深夜放送との関係が深くて、1回目の発売が土居まさるさんだった。カレンダー。♭ジャニュアリ~という始まり(笑)。シンガーソングライターの1号が拓郎さんで、2号が泉谷さん。

泉谷:そういうことですね。

田家:拓郎さんの話はまた後ほど伺いますけども、「戦争小唄」の人が書いた名曲がこれです。72年4月発売、2枚目のアルバムのタイトル曲、「春夏秋冬」。

Rolling Stone Japan 編集部

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