「泉谷しげる50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人と振り返るエレックレコードの名盤



田家:1972年4月発売、2枚目のアルバム『春夏秋冬』から、タイトル曲「春夏秋冬」。この曲は思い出がいっぱいありそうですもんね。

泉谷:そうですね。でも、作れっていう時は全然良い思い出じゃないんですよ。ひどいですよ、エレックは。いきなり電話がかかってきて、「明日までに曲作っておけ」って言うんで。新宿の御苑スタジオでリハしなきゃいけなかったんだけど、「とにかくスタジオ代が高いんだからな、早く作れ」みたいな。「なんだこいつと」と、その時が、亀裂の1番最初でしたね(笑)。

田家:大人の世界はこうかみたいな(笑)。

泉谷:そう。まあ、レコーディング代が高かったというのもあるんですけどね。でも、こっちも調子悪くて、この歌をよく聴いてもらえれば分かるんだけど、実は鼻声なんです、風邪引いているんです。

田家:で、すぐ書けたんですか?

泉谷:まあ、一行だけ。でも、一行書いて、あ、これいけるなって思いました。あとは適当にその場で歌っていて(笑)。まずリハの段階で適当に歌って、固めていって。どうも、ボブ・ディランもそうやってたらしいね。適当にまず歌って、それから後で直していく。レコーディングメンバーがいつも待たされていた。これは偶然ですよ、別にディランの真似したわけでもなんでもなく。

田家:その思いがけないデビューの時に書いてた曲はどのくらいあったんですか?

泉谷:大してないですよ。むしろ、ないですよ。「戦争小唄」と……3、4曲しかなかったんじゃないかな。

田家:デビューアルバムの中には浅沼さんの曲も入ってましたもんね。

泉谷:そうそう。だから、アルバム出すとか言われた時、「いや、俺はダメなんで曲もないし、古井戸を先にしてくれ」って言った。こいつらはいっぱいあるから、俺はないから、最初はお断りしてるんだよ。自分が先頭を切るのはいいけど、1年間だけだぞと。それで、あとは古井戸出してくれるなと、だったらやるって言って。俺は1年間でもういなくなるからみたいな感覚で。

田家:ところが、世間はそうさせなかった。この2枚目のアルバム『春夏秋冬』はスタジオレコーディングで加藤和彦さんもアレンジで参加している。ここから入っているんですもんね。

泉谷:つまり、レコーディングってなんだってことをできる人がいなかったんですよ。

田家:あー同世代ではね。

泉谷:フォーク勢は全く頼りにならないので、どうしてこういうマイクで、ヘッドホンつけてやるっていうことが分からない。ミキシングなんて分からないんです。だから、みんな加藤さんのところに行ったんですよ。そのぐらい彼は先に行ってたんです。

田家:勉強になったこともたくさんあったと。

泉谷:相当ありましたね。彼がいなかったら、我々はできなかったですよ。

田家:この話はまた後ほど続きます。

泉谷:また!後ほどが多すぎないか(笑)!

Rolling Stone Japan 編集部

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