「泉谷しげる50周年 俺をレジェンドと呼ぶな」本人と振り返るエレックレコードの名盤

春のからっ風 / 泉谷しげる

田家:1973年9月発売、4枚目のアルバム名盤『光と影』の中の「春のからっ風」。「春夏秋冬」の続編のような曲にも聴こえますね。

泉谷:結局、焦燥感みたいなものが当時みんなにあって、若いやつの行動が上手いこといかずに敗北感みたいなものですかね。世の中が変わらないみたいな。

田家:世間は分かってくれない的な。

泉谷:そういう気持ちを代表してという意味ではなく、自分自身がそうだったはずだという。

田家:泉谷さんもこういう生活をしていた時がある。

泉谷:「春夏秋冬」と同じように都会のおしゃれな空間にいるはずなのに、埃が舞っているみたいな。ささくれ立った気持ちというか。だいぶ自分のキャラも完成されつつあるぐらいな時だったんだけど、ここは虚勢を張らずに俺はこうなんだよねっていうところも、まあやっとくか! みたいな。

田家:さっきちょっと話に出た、漫画家になりたい。漫画を描いていて、なかなか採用されない時期はこういう感じだったりしたんですか?

泉谷:いや、漫画家も歌手もどうしても受かりたかったかどうかって言われちゃうと、非常に微妙で。やったとは思ってなかったですね。むしろ、なんで? というぐらいですよね。

田家:なんで俺がこんなに?

泉谷:なんで人気出ちゃったの? ぐらいな感じですよ。だから、むしろ怖がってたと思いますね。はっきり言えば。基礎どころか、ぶっ壊してるんだからさ、次から次へと(笑)。だから、早く辞めなきゃぐらいな気持ちでしたね。

田家:で、この4枚目のアルバム『光と影』のプロデユーサーがさっき話に出た加藤和彦さんなわけで、加藤さんはそういうところをちゃんと理解して。

泉谷:あの人は理解してくれるんだよねえ。ポップの人かと思ったら、なんでこういうことが分かるんだろう? という。

田家:あの人もやっぱり、外れたところがいっぱいあった人なんですよ、きっと(笑)。


左から、泉谷しげる、田家秀樹

泉谷:そうかもしれないな。なんか過激だよね、意外と。すごい良いところの息子じゃないですか。良い学校も出て、ポップなものを作って。だから、レコーディングの頼り方として頼ったんだけど、まさか歌詞まで理解してくれるとは思わなかったですね。

田家:たぶん、加藤さんは泉谷さんが歌っていることに惹かれたんじゃないかと思いますけどね。

泉谷:そうかもしれないですね。もちろんあらゆるジャンルのものに精通しているんだけど、例えば、ある時「大阪で生まれた女」の電信柱に染みついた夜とか、これいいよねとか言い出すんだよ。え!? とか、俺の方がついていけないのよ(笑)。

田家:この『光と影』は「序曲」と「終曲」、「イントロ」と「アウトロ」があって、トータルな作りで、「おー脳」とか、「ひとりあるき」、「ブルースを唄わないで」とか、本当に名曲がたくさんありますもんね。

泉谷:まあ、結果的にそういうふうに思っていただけるならありがたいんですけど、とにかく加藤さんの家でこういうふうに歌え、ああいうふうにやれって言いながらやっていたんで。自分の想いを出すために何度もやり直しするよりは、大体テイクも1回か2回ぐらいですからね、これ。

田家:あ、加藤さんがその方がいいって言う?

泉谷:そのままの方がいいって言うんだよね。ちゃんとするなみたいな。だから、おもしろかったですね。テーマとか、感情を溜め込みすぎないように慣れないうちに。これは役者とも似ているんだけど、人によるんだけど、完成されない前の演技が1番良いという。

田家:3週目で聞きましょう(笑)。

泉谷:分かりましたよ! なんだよお前(笑)!

田家:4回聞かないとね、泉谷さんのことは分からないっていう。

泉谷:あーそう(笑)。

田家:この『光と影』の中の色褪せない名曲お聴きいただきます。「国旗はためく下に」。

Rolling Stone Japan 編集部

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