ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」

10位→5位

10位 アウトキャスト「Hey Ya!」(2003年)
WRITER(S):André Benjamin

ファンク、ポップ、ラップ、そしてロックを融合させた「Hey Ya!」は、ラディカルでありながらも極めて親しみやすい、アウトキャストの唯一無二のヴィジョンを体現する曲だ。作曲にアコースティックギターを使ったアンドレ3000は、スミスやバズコックスをイメージしながらコードを鳴らしていたという。「彼はコンセプトの大部分を頭の中で既に作り上げていた」。レコーディングエンジニアのJohn Fryeはそう話す。「それが形になるまでに時間はかからなかった。骨格の部分とイントロ、最初のヴァースとフック、全部一晩のうちに録ったんだ」。

その後、曲の構成は幾度となく変更されることになる。その過程で大きな役割を果たした存在の1人が、シンセパートとベースを担当した元カメオのケヴィン・ケンドリックスだ。一時的に用いられていた「Thank God for Mom and Dad」という仮タイトルは、恋人との関係を続けていく困難さをテーマにした歌詞の内容を端的に示していた。

2021年にTwitter上で、アウトキャストは同曲を「史上最も悲しい曲」と形容した。しかし2003年当時、同曲のそういった側面はパーティの場でポラロイド写真を振りながらひたすら踊り続けたくなるような、底抜けの痛快さの陰に隠れてしまっていた。「Hey Ya!」は2000年代初頭において最もユニバーサルなヒット曲であり、iTunesで100万ダウンロードを記録した初めてのトラックとなった。



9位 フリートウッド・マック「Dreams」(1977年)
WRITER(S):Stevie Nicks

「Go Your Own Way」と歌った元恋人とは対照的に、スティーヴィー・ニックスは儚い「Dreams」を書き上げた。カリフォルニア州ソーサリトでの『噂』のセッションが続いていたなか、ニックスはオフの1日をスライ&ザ・ファミリー・ストーンが使ったとされるRecord Plantの一室で過ごしていた。「部屋は黒と赤で統一されていて、中央のくぼんだ部分にはピアノが置いてあった。大きなベッドは黒のヴェルヴェットで、ビクトリア調のドレープもあった」。彼女はBlender誌にそう語っている。

彼女はその部屋で、同曲の幽玄なビートに食い込むかのようなギターを弾いている元恋人、リンジー・バッキンガムとの嵐のような恋を回想していた。「キーボードを前にしてベッドに座り、私はドラムのパターンを収めたテープをカセットデッキに入れて再生ボタンを押した。それから10分も経たないうちに、私は『Dreams』を書き上げた」。ニックスはそう話す。「ダンスビートを使ったところが何より気に入ってた。私にとっては新しい試みだったから」

フリートウッド・マックの出世作となった『噂』の2ndシングルとしてリリースされた「Dreams」は、バンドにとって全米チャートを制した唯一の曲となった。その後何十年にも渡ってあらゆる世代から愛され続ける同曲は、昨年には再びチャートに返り咲いた。



8位 ミッシー・エリオット「Get Ur Freak On」(2001年)
WRITER(S):Missy Elliott, Timbaland

「そうね、私たちがずっと先を見据えてたってことは確かね」。ミッシー・エリオットは盟友ティンバランドとのケミストリーについて、2020年に本誌にそう語っている。「私たちのレコードには人を暗示にかけるような力があった」。バージニア州ポーツマス出身の幼馴染である2人は、スペースファンクと形容された唯一無二のサウンドで90年代末のシーンを席巻した。

当時の女性スターたちが定めたルールを、彼女はことごとく破っていった。それは彼女の音楽にも言えることであり、ミッシーとティムのコンビが生み出すサウンドは模倣さえできなかった。2人の蜜月のピークに産み落とされた「Get Ur Freak On」は、圧倒的に奇妙でアヴァンギャルドでありながら世界中のポップチャートを賑わせた。バングラビートに合わせてミッシーが「Hollaaaa!」と叫ぶトリッピーな同曲は、彼女たちの基準からしても挑戦的なものだった。ミッ
シーはかつてこう語っている。「ティムにこう言ったの。『さすがにこれは実験的すぎない? 日本的な要素をヒップホップビートに組み込むなんて』」

しかし世間はこの曲に大いに反応し、無数のリスナーがミッシーに倣って雄叫びをあげた。今なお世界中のフリークたちのアンセムとなっている「Get Ur Freak On」の先進性は、発表から20年が経った現在でも失われていない。



7位 ザ・ビートルズ「Strawberry Fields Forever」(1967年)
WRITER(S):John Lennon, Paul McCartney

1966年の時点で、ジョン・レノンは世界で最も有名な人物の1人だったが、彼はかつてなく孤独を感じさせる「Strawberry Fields Forever」を書き上げた。ビートルズがサイケデリック路線を追求するきっかけとなった同曲は、ポップミュージックのあり方と作り方を一変させた。

同曲のアイデアは、レノンがスペインのビーチでアコースティックギターを弾きながら、子供の頃の辛い記憶についての曲を書いていた時に生まれた。Strawberry Fieldとは彼が幼少期を過ごしたリヴァプールの児童養護施設の名前であり、それは彼を外界からを隔離するための場所だった。「どこにいてもStrawberry Fieldの光景が浮かぶんだ」。彼は1968年に本誌にそう語っている。「Strawberry Fieldsは、君が行く先々に必ず存在するんだよ」。自身の脆い部分をさらけ出したこの曲をビートルズのメンバーに聞かせた時、レノンはひどくナーバスになっていた。しばしの沈黙の後、ポール・マッカートニーはこう言った。「なんて素晴らしい曲なんだ」。音の魔術師ジョージ・マーティンのサポートを得て、彼らはその曲を革新的なサウンドコラージュへと生まれ変わらせた。

「Strawberry Fields Forever」は『Sgt. Pepper’s』のセッションで最初にレコーディングされた曲だった。アルバムへの収録は見送られたが、同曲は1967年2月にシングルとして発表され、B面にはマッカートニーによる「Penny Lane」が収録された。生々しい痛みを描いた「Strawberry Fields」を、ビートルズは抗いがたく魅力的なポップへと昇華させた。



6位 マーヴィン・ゲイ「What’s Going On」(1971年)
WRITER(S):Marvin Gaye, Renaldo Benson, Al Cleveland

「What’s Going On」は心理危機のピークを経験していた男が、世界の平和を願う切実な気持ちを歌った曲だ。1970年の時点で、マーヴィン・ゲイはモータウンの男性ヴォーカルの中でもトップの存在だったが、彼はヒット生産工場というべきプロセスの一部である自分の役割にフラストレーションを覚えていた。デュエットパートナーのタミー・テレルが3年にわたる闘病生活の末、同年3月に脳腫瘍で他界したことで悲しみに暮れる一方で、ゲイ自身はモータウンの創設者であるベリー・ゴーディの姉、アンナ・ゴーディとのトラブル続きの結婚生活に疲弊していた。それだけでなく、彼は厳格な清教徒の父親マーヴィン・ゲイ・シニアとの摩擦にも苦悩していた。

ゲイは伝記作家のデヴィッド・リッツにこう語っている。「平和の大切さを訴える以上、僕は自らの心の平穏を見つけないといけない」。テレルの逝去からほどなくして、フォー・トップスのレナルド・ベンソンは、モータウンの社員だったアル・クリーヴランドと共作した曲をゲイに聴かせた。だが曲のアレンジ全体を管理し、戦争や人種間闘争というタイムリーなトピックを自らの経験になぞらえて歌ったゲイは、同曲を彼のカラーへと染め上げた。ジャズを土台にした優美なビートを支えているのは、モータウン専属のセッションクルーだったファンク・ブラザーズだ(ゲイ自身もダンボール製のパーカッションで参加している)。ゲイは同曲で、ベトナム戦争で戦地に赴いた弟のフランキー(「弟よ、君の仲間の命があまりに多く失われているんだ」)と、対立してばかりの父親(「父さん、僕らは争いをエスカレートさせる必要なんてないんだ」)と分かり合いたいという、自身の切実な願いについて歌っている。

当初は大衆向けでないとして却下されたものの、ゲイの代表曲となった「What’s Going On」(デトロイト・ライオンズの選手2名がバックコーラスで参加)は今なお人々の心を癒し続けている。


Translated by Masaaki Yoshida

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