泉谷しげるデビュー50周年、エレックからフォーライフへの変遷を本人と振り返る

泉谷しげる(以下、泉谷):どうもー!

田家:今週もよろしくおねがいします。2週目ですが、先週はデビュー当時のエレックレコードのお話を伺いました。エレックレコードと言えば、拓郎、泉谷です。

泉谷:そうみたいですね。吉田拓郎は旋風児で、アイドル的なものがあって、本人はアイドルになりたかったんじゃないかなって未だに思ってるね。

田家:ありますよね、そういう面。

泉谷:あるよな。だから、よく怒鳴り散らしてましたね(笑)。「何アイドルなんて言ってるんだ、この野郎!」みたいな。要するにあの時代は男たるものぶすっとしていて、女にチャラチャラしない。世の中どんどん変わっていくんだけどな。そっちの方にね。

田家:男は黙っての時代ですもんね。三船敏郎さんの。

泉谷:そう。俺はもちろんハチャメチャを目指しているんだけど、本当に彼はかわいかったですね。

田家:エレックの黄金期を支えた二人。

泉谷:ある意味でそうですね。

田家:泉谷さんが23歳から25歳。年間200本のコンサートをやっていた。

泉谷:そうですよ。ひどいでしょ。記憶がないんだから。「広島のみなさんこんにちは!」、「長崎だよ! 馬鹿野郎!」って返ってくる。

田家:しかも夜行列車でね。

泉谷:でも、結果的には良かったんじゃないかな。体を強くさせました。

田家:決して体が強い方ではなかったんですよね。

泉谷:全然弱かったです。こう言っちゃなんだけど、エレックに受かった時に「ちょっと待ってくれ」って言ったのは、実は電車も車も酔うし、船もダメだし。まだ泉谷しげる(というキャラクター)になれねえなっていうのがあって。「待ってくれ」はそういう意味なんだよね。だから、これじゃまずいな、弱ったなあと思って。飛行機に乗った時は脂汗が出ましたね。でも、とにかく虚勢を張ってるから、なんとか。それからですよ、とにかく船に乗って、波バシャーンって浴びたり、ジェットコースターに乗ったり。私、頑張りました、泉谷しげるになるために。

田家:200本のコンサートを続けた、その先というのが今週のテーマです。1974年からなのですが、まず今日の1曲目。74年10月発売、5枚目のアルバム『黄金狂時代』から「眠れない夜」。

Rolling Stone Japan 編集部

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