「泉谷しげるデビュー50周年」本人と振り返る、ワーナーとビクター時代

泉谷しげる(以下、泉谷):こんばんは!

田家:1週目、2週目を聴いたリスナーの方から、泉谷しげるさんはシンガー・ソングライターだったんですねという反応をいただきました。

泉谷:ありがとうございます。長くやっていると、みんな忘れていくんですよ(笑)。

田家:この番組はいろいろ思い起こしていこうという番組でありまして。

泉谷:だから、これは余計なお世話じゃないかと思うんだよね。みんな忘れたいんだから(笑)。

田家:いや、掘り起こさないといけないことがたくさんある! 今週はワーナー、ビクター編。78年のアルバム『’80のバラッド』、『都会のランナー』。そして、88年の『吠えるバラッド』、『HOWLING LIVE』、『IZUMIYA-SELF COVERS』という、このへんのアルバムの話をお訊きしていきたいと思っております。78年から88年、10年間あるんですもんね。

泉谷:ここは二度目のインパクトで、ソロからロックバンドを結成したことの充実感。やっぱり、ソロの自由さとバンドと両方をやりたいというのは、もともとバンドをやっていたから。

田家:ね。ローリング・ストーンズに憧れた人ですからね。

泉谷:ギターができなかったから、一生懸命ソロで練習をして、いつかバンドを組みたい願いが叶ったのがこの時ですかね。

田家:先週のキーワードの1つに音楽の精度を上げるがありましたね。

泉谷:精度というのは基本的なものを体得する以上のもの。つまり、音楽の範疇にこだわらないパワーですね。音楽教育は受けていないので、音楽的精度を上げてもしょうがないなと思っているんです。ものを作る時に、例えば何かの暮らしを表現する時に、もしかしたらうどんの作り方を覚えた方がその人の苦しみ、つらさが分かるんじゃないかという考え方ですよね。

田家:それが役者にも活きていることが、今週の話になるかもしれませんね。今週は精度を上げるという象徴のような曲から始めたいと思います。1988年12月に出た『IZUMIYA-SELF COVERS』の中の「春夏秋冬」。

Rolling Stone Japan 編集部

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