泉谷しげる、90年代以降から「阿蘇ロック」に至るまでを振り返る

泉谷しげる(以下、泉谷):はい、こんばんはー。どうも4週間目でーす!

田家:最終週です。90年代以降、現在に至る話を伺いたいと思うのですが、題して「救済阿蘇ロック編」。「阿蘇ロックフェスティバル」は今のところどういう状況ですか?

泉谷:俺としては本当は辞めたいんだけど、せっかく準備してきてもいるし、ひとつのバカな野外フェスで問題になったんだけど、ちゃんと対策やルールを守ってやっているところもあるんでね。

田家:そうですよ。声を大にして、妙な煽りを受けなければいいなと本当に心から思いますね。先週はLOSERの話で終わりました。ロック史に残る屈指の豪華な顔ぶれのロックバンド。今週はまた違う顔を泉谷さんは見せてくれます。ずっと同じことをやってないですよね。

泉谷:まあ、飽きっぽいんでしょうね(笑)。すみません、本当に。

田家:飽きっぽいということはもちろんあるんでしょうが……。

泉谷:1個1個でフルに使っちゃうんで、燃え尽きちゃうんですね。だから、いつ終わってもいいというか、いつ引退しても辞めてもいいつもりなのかもしれないですね。いつも覚悟をしているんです。

田家:それはデビューの時からそうなんですか?

泉谷:かもしれないですね。とにかくやったら燃え尽きて、さっさといなくなろうというスタンスなので。いつまでも過去を自慢する人間にはなりたくない。

田家:思いがけない形でデビューすることになって。その時はまだ俺は泉谷しげるになる自信がない。体も弱いし、1年間待ってくれ。で、その間に泉谷しげるになる準備をした。

泉谷:鍛えたんですけどね。

田家:それがすごいなと思いました。

泉谷:みなさんもそうだろうけど、基本的に人は何もないでしょ。だけど、どういう人になるかイメージ力を持った人間が進めるのであって、みなさん、何もないからって腐らないで、どういう人間になるんだってイメージしてくれると楽しいかもしれないですね。

田家:デビューする前の1年間にイメージした泉谷しげるは今のような泉谷しげるさんでした?

泉谷:そうですよ。もう、孫悟空のようにハチャメチャで、とにかく無礼で態度が悪くて、口は悪いけど憎めませんみたいな。1番憧れたのは孫悟空ですね。

田家:その時にイメージしてたんだ(笑)。

泉谷:孫悟空が大好きで。自分の中では理想を満たしてます。やったなという感じはします。

田家:そういう人の今日の1曲目なのですが、この曲の自身の印税は全額奥尻島に寄付されました。1993年9月発売「なぜ、こんな時代に・・・」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE