LOUDNESSの高崎晃が語る、80年代メタル全盛期と世界進出

LOUDNESSのギタリスト、高崎晃(Photo by Yulia Shur)



80年代に海外で体感したヘヴィメタル・ムーブメント

ーヘヴィメタル宣言をして、ヘヴィメタルを掲げて世界標準の音楽を目指して出ていったら、世界的なヘヴィメタルのブームになっていったなんて、スゴい話ですね。

高崎 上手いことなったんですよ。上手いことというか、自分は70年代後半から、絶対にこの道が正しい道やと思ってたし、未来につながる道やと信じてたんですよね。それがやっぱり思う通りになってきてたんです。

ーアトランティックとの契約がどのように始まったのかも聞きたいのですが。

高崎 向こうから日本のアーティストと契約したいって言うてきたんですけど、そういうのは初めてだったらしいんです。最初はテレックスが日本のワーナーに入ったんですよ。俺らのところに連絡が来た時はビックリしましたね。『THUNDER IN THE EAST』は全米で74位まで行ったんですけど、契約してレコーディングするだけでも夢みたいな話やのに、チャートインまでしてきたから、この先どこまで上がっていけるんかなみたいになりましたね。今から思えばクレイジーな時代でしたよ。やっぱり80年代は何をするにも派手な時代だったんです。自分が見てきたから、余計にそう思うのかもしれないけど。バブルも弾ける前で、どんどん膨れ上がっていく時代やし。LOUDNESSが80年代に所属した事務所も、バブルの頂点になったような不動産の会社で。日本の音楽を世界に紹介したいという社長の思いもあったんですよ。まあ、メイクも派手だったし、格好も派手だったし、女の子たちも派手だったもんね。「これ下着じゃないの?」って感じの子がいっぱいいましたからね(笑)。



ー当時、グルーピーはどうでしたか?

高崎 モトリー・クルーと回ってた時は、バックステージも華やかで。俺らがメインで回ってた時も、前座でつけてたのがシンデレラとかポイズンで、女の子のファンが多いバンドだから、もうむちゃくちゃでしたよね。毎晩のようにクレイジー・ナイトでしたよね(笑)。

ー当時交友関係のあった海外のアーティストはどの辺ですか?

高崎 ホワイトスネイクにもいて、The Dead Daisiesをやってるダグ・アルドリッチとか、KISSでギターを弾いてるトミー・セイヤーとかは、LOUDNESSの宿舎の方に来て、よくパーティやってましたよね。シンデレラはツアー先とかで、いつもよく一緒に飲んでましたね。モトリー・クルーは若かったので、ライブが終わった後も、ライブの前日も、現地のクラブに遊びに行って、一緒になった時はジャムセッションをしたりしましたね。それこそモトリー・クルーでギターだけが入れ替わって演奏した時もありましたよ。「Smokin’ In The Boys Room」とか弾きましたね。トミー・リーに「ミック・マーズは何してんの?」って聞いたら、「いや、ホテルで練習してるよ」って言ってましたけど(笑)。

ー当時ヤバかったアーティストは?

高崎 ニッキー・シックスはだいぶヤバかったかな。うちのベースが何回か悪の道に誘われそうになりましたけど(笑)。シュナップスっていう甘い酒があるんですけど、あれをボトルごとグイグイ飲むんですよ。ジャックダニエルは普通に水のように飲んでましたね。シュナップスを勧められたけど、「こんな甘いのいらんわ」って。まあそれ以外にもいろいろ、悪の道に引きずり込まれそうになりましたけど(笑)。でも逆に、ポイズンのギター(C.C.デビル)は、ライブが終わった後に、ホテルも一緒やったから、「ちょっとギター持って部屋に行ってええかな」って言われて。「ギター、ちょっと教えてえや」「教えてって、何やそれ」って(笑)。トミー・リーが樋口さんのドラミングを、ずっと横からビデオカメラでシューティングしてた時もありましたね。向こうのミュージシャンが何か知らん間にLOUDNESSの演奏を盗撮してたりとかありましたよ(笑)。

ー同世代のバンドだけでなく、AC/DCのツアーのオープニングを務めたり、ニュージャージーのイベントではトライアンフやマウンテンと出演したりするなど、上の世代のバンドとの共演も経験していますよね。

高崎 トライアンフとマウンテンは、一回だけのTHE ROCK & ROLL SUMMIT!というフェスで、アメリカとカナダと日本の国旗を挙げてやったんです。もうマウンテンゆうたら60年代のバンドやし、俺がロックを聴き始めた時に多少は聴いてて。そのバンドと同じステージに立てるなんて、ビックリしましたよ。畳3畳分ぐらいある巨大なカウベルがステージ前方に運ばれてきて。それをコーン!コーン!コーン!と叩いて、俺が聴いてた「Mississippi Queen」も実際にやってました。トライアンフはその頃めちゃ人気がありましたね。その会場はマディソン・スクエア・ガーデンよりも数段デカい、メドウランズ・アリーナというところで、6万人ぐらい入りましたね。AC/DCと東海岸のツアーをやったのは86年ですけど、その時はけっこうハードで、18日間で15本ぐらいライブをやったんですよ。AC/DCはめちゃくちゃハイトーンでずっと歌い続けてるのに、5連チャンでやって、1日休んで、5連チャンでやって、また1日休んでやるんです。だから、週休2日でずっとライブをやり続けてる感じで、しかもものスゴい距離を移動しながらなんですよ。そのAC/DCのツアーとモトリー・クルーの3カ月ぐらいやったシアター・オブ・ペイン・ツアー、この二つともビルボードで当時観客動員数ナンバー1のUSツアーになって。それについてやってたから、当時のアメリカ人はたくさんLOUDNESSのことを知ってるんですよ。

ーなるほど。そういうことなんですね。

高崎 俺らも当時ツアーに関しては、アメリカで一番デカいエージェンシーと契約してたんです。一度、ヴァン・ヘイレンの名前も挙がったんですよ。けど、バンドサイドからNOって来て、実現できなかったんですけどね。それでAC/DCとのツアーになったんですよ。

ー海外のミュージシャンは型破りの人が多いわけですけど……。

高崎 多いですよね。そういう人じゃないと残らないですよ(笑)。

ーその中でも一番スゴかった人は誰ですか?

高崎 ステージ上で一番輝き出すのは、俺の知ってる中では、AC/DCのアンガス・ヤングでしたね。身長は157センチぐらいしかないんですけど、アリーナで観てたら、彼が2メートルぐらいに見えてきて、どんどんデッカくなっていく(笑)。それぐらい存在感がありましたね。普通ライブを15本も観たら飽きそうなものなんだけど、毎日自分たちのライブが終わった後、すぐに着替えて、必ず観てましたね。AC/DCはつい最近も新しいアルバムが出たじゃないですか。何にも変わらないし、新しいことは何一つないんだけど、一つのAC/DCというサウンドがあって、やっぱりスゴいんですよ。

ーモトリー・クルーとの全米ツアーはどんな感じでしたか?

高崎 3カ月ずっと回ってましたね。途中で一遍日本に帰ってきて、それでまた戻ってやったんじゃないかな。行く先々、全部アリーナで、マディソン・スクエア・ガーデンよりも大きい会場はいくらでもありましたよ。マディソンでやるのは、モトリーにとっても初めてで、けっこうやる前はナーバスになってましたね。うろうろしたり、珍しくLOUDNESSの楽屋に顔を出してみたり(笑)。そんなんしてたんですけど、ちょっと俺の衣装にクレームみたいなのがついて。ニッキー・シックスが水玉の衣装を着てて。楽屋に来た時に、俺がたまたま水玉の衣装を着てるのを見て、俺に直接は言わなかったんですよ(笑)。マネージャーから、「かぶるから、あの衣装ダメだよ」みたいに言われて。俺、着替えることになって。逆にそれで、マディソンでやるのに変な緊張感とか全部なくなりましたね。気楽さもあったし、捨て身な感じもあったし、だからって手を抜くんじゃないけど、衣装にまでクレームをつけられたし、やりたいだけやったれみたいになって(笑)。それで、ギターソロもめっちゃ長いこと弾いたんちゃうかな。45分しか時間を与えられてないのに、ドラムソロで5分はやって、ギターソロで8分ぐらいやって。「5曲ぐらいやったよな?」みたいな(笑)。でもそれがウケたんですね。

ーその日はブチかませたわけですね。

高崎 思いっきりブチかましましたね。クレーム入れてくれて良かったよね。

ー当時の衣装と言えば、LOUDNESSのトレードマークとなった二井原実さんの日章旗のTシャツは、お土産屋で偶然に見つけたものらしいですね。

高崎 あれはロスのリトル・トーキョーのお土産屋さんに飾ってあったもので。当時、デフ・レパードのヴォーカル(ジョー・エリオット)がユニオンジャックを着たりもしてたんで、「ほんならこれ着ようかな」って軽い気持ちで着とったんですけど(笑)。それが映画の『ロック・オブ・エイジズ』にも出てくるようになりましたからね。

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