ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドが歴代最高と評される理由

そこにダニエル・クレイグが現れた。クレイグ扮する無愛想で粗野なMI6エージェントは、当初は筋骨たくましいコネリー時代のボンドへの回帰かと思われた。だが、クレイグがボンドというキャラクターに与えたのは、単なるジョン・F・ケネディ時代のスパイ全盛期へのノスタルジー以上のものだった。それは、『007/ドクター・ノオ』(1962)で自分の命を狙う敵の部下を前に「スミス&ウェッソンは6発だ」とクールに言い放ってから射殺するボンド、あるいは『007/ロシアより愛をこめて』(1963)の電車内のシーンでロバート・ショウと必死に戦うボンドが生態ピラミッドの頂点捕食者となって復活し、パロディ化を回避したかのようだった。それはまさに、フレミングが原作『007/カジノ・ロワイヤル』のなかで「鈍器」と表現した、英国政府お抱えの生まれながらの殺し屋の姿だったのだ。私たちは、クレイグが21世紀初のボンド俳優ではないことを忘れがちだが——ブロスナンのボンド卒業作となった『007/ダイ・アナザー・デイ』は2002年に公開された——クレイグは瞬く間に新時代の完璧なボンドとしての評価を勝ち取った。彼はぶっきらぼうでありながらも有能で、善と悪の曖昧さを十分理解し、オーダーメイドの3ピーススーツのように道徳の両義性をまとっていた。どういうわけかクレイグのボンドは、不確かな時代を生きる危うい男であると同時に女王陛下の獰猛なホオジロザメのような存在だったのだ。


『007/カジノ・ロワイヤル』のクレイグ(左)とジェフリー・ライト(Photo by Jay Maidment)

それはまさに「007」シリーズが必要としていたオーバーホール級のリニューアルの一環だった。そこには当然ながら、古臭さという要素もあった。コネリーがうんざりしながら「いつもの古い夢」を繰り返し見ているようだと言ったように、新鮮さを保ちつつ誇大妄想者が世界を支配しようと浮かれ騒ぐ様子を観客の元に届けるには限界がある。超人的なスパイが活躍する映画というジャンルにおいて「007」シリーズの強敵となる存在が出現した点も大きい。「007」最新作がフレミング版のジェイソン・ボーン的ヒーローであると気づくのに時間はかからないだろう(米作家ロバート・ラドラムのスパイ小説を原作とする「ボーン」シリーズによって世に広まった近接型バトルやクラヴマガ風の格闘術へのフォーカスは、クレイグの「007」シリーズでより顕著になった——2008年の『007/慰めの報酬』のアパートメントのシーンを思い出してほしい。同作のアクションシーンを担当したトレーナーのマーヴィン・スチュアート・キャンベルが2007年の『ボーン・アルティメイタム』のスタントマンを務めているのも単なる偶然ではない)。その後もボンドは屋根の上や雑踏をかき分けながら敵を追いかけ、バイクから飛び降りてはヘリコプターを操縦し、凶悪な天才の要塞を粉々にした。だが、クレイグが演じるとこうしたシーンに一種の切れ味が生まれたのだ。それは切れ味であると同時に、意外にもエレガンスだった。『007/スカイフォール』(2012)で電車の車両をこじ開けて潜り込むとき、一瞬手を止めてカフスボタンを調整するなんて離れ業は、コネリーにも真似できなかっただろう。

Translated by Shoko Natori

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