ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドが歴代最高と評される理由

それだけでなく、クレイグはボンドというキャラクターに傷つき打ちのめされた人間らしさのようなものを与えた。この点こそ、クレイグ版ボンドが歴代ボンドと一線を画す理由だ。私たちのジェームズ・ボンドは、長年「007」シリーズに携わってきた人々の手によって通俗心理学にもとづいてリニューアルされようとしていた。それは、シリーズを超えた一連の物語というコンセプトが事実上定着した瞬間でもあった。クレイグがボンドにもたらしたものによってすべての始まりとなったフレミングの原作に立ち返り、ひとつの作品が次の作品へとつながっていくように「007」をわずかに再構築していくのは理にかなっていたのだ。クレイグ扮する殺戮マシンには、いまだかつて存在しなかった——少なくともこのようなレベルでは——エモーショナルな側面があった。ル・シッフルのような悪役に堂々と立ち向かうボンドが階段の吹き抜けでテロリストを始末するためだけに立ち止まるだろうか? そんなことは誰でもできる。やがてソウルメイトとなるヴェスパー・リンドがバスルームで誰かを殺してパニックに陥ったとき、ボンドはそっとキスして彼女の指先の血を拭ったではないか。そこには、独特の優しさがあった。映画の終わりで、その後も彼のトラウマとなる喪失を経験したときもそうだ。クレイグのボンドは完全無欠ではない。彼は満身創痍なのだ。


『007/スカイフォール』のクレイグ(Photo by Francois Duhamel)

クレイグが演じたリアルなボンドは、『カジノ・ロワイヤル』を歴史にしがみついた味気ない作品という評価から救っただけではない。あとに続く4作品の礎を築いたのだ。脚本家たち、とりわけ「007」シリーズのベテランであるニール・パーヴィスとロバート・ウェイドは、子が親の罪を背負うという領域に足を踏み入れた。たいていの場合、ボンドは人々の想像力を掻き立てながらも本当の過去を持たない殺人者として演じられてきた。それが大きく変わったのだ。クレイグが劇中で見せるたくましい肉体にふさわしい心と魂抜きの「007」を想像するのは、いまとなっては不可能だ(劇中ではボンドの年齢に関する話題は事欠かないが、クレイグ版ボンドが共演者の女優よりも服を着ていない状態で登場する頻度がもっとも高いのも事実。あなたの性的嗜好はさておき、その理由は明白だ)。

のちに私たちは彼が孤児だったこと、未解決の問題を抱えていること、誰かを愛せること、そして過去を忘れられずにいることを知る。15年にわたってボンドを演じてきたクレイグのキャリア史上最高傑作と筆者が目す『スカイフォール』では、ボンドの生家「スカイフォール」は崩壊する。たとえ二度と帰ることができなくても、破壊することはできるのだ。

たしかに、なかには疑いから限界点へと飛躍してしまった点もいくつかある。「ボンドには兄がいます。それは誰でしょう?」というサプライズはいまだに釈然としない。だが、その後もクレイグは古臭い要素の総体に過ぎなかったボンドというキャラクターにいくらかの感情的な危うさを与えながらも、私たちに「007」シリーズならではの楽しみを届けてくれた。そして何度も何度もチャレンジに挑み続けた。クレイグのボンド卒業作となる待ちに待った『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の種明かしをしてしまうことを心配せずに、この絶妙なバランスが最新作でも健在であると言っても差し支えないだろう。クレイグ版ボンドの終わりを見届けられるいまだから言えるが、クレイグの功績は実に偉大である。そこにいるのは女王陛下と英国、とりわけ自分好みにつくられたマティーニ、シャープな折り襟、高級腕時計をこよなく愛するフレミングのボンドなのだ。ボンドとしての最後の作品となる『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を通じて、あなたはクレイグのボンドがフェードアウトしていくのを目の当たりにするだろう。こうしてボンドは彼のものとなった。コネリーやムーアをはじめ、「殺しのライセンス」を持つすべての歴代ボンド役に敬意を表しつつも、伝説のスパイを誰よりも見事に演じ切ったクレイグを称えたい。

From Rolling Stone US.

Translated by Shoko Natori

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