BIGYUKIが語る、ブラックミュージックの最前線で戦う日本人としての経験と葛藤

BIGYUKI(Photo by OGATA)


ブラックミュージックの最前線で思うこと

―ところで、『2099』をリリースした2020年の12月とは状況がかなり変わりましたよね。あの頃はアメリカでのコロナの状況もひどかったし、BLMのデモも大きい時期でした。

BIGYUKI:その後でアジアンヘイトみたいなことも大きくなったりしましたよね。

―アメリカでは大統領選挙もあったし混乱も続いていたけど、その後はトランプも退いて、以前よりも少し落ち着いているのかなと。『2099』の時は「そういう状況だからこそ前向きなものを、楽しく聴けるものを作ろう」といったことを話していましたが、『Neon Chapter』の制作中はどんな気持ちで臨んでましたか?

BIGYUKI:あの頃は先が見えないままでもポジティブにいようって感じでしたけど、今は抜けた感じがしますよね。秋の予定もどんどん入ってるし、ツアーのスケジュールも12月まで埋まってる。実感としてはもとに戻ってきていて、長いトンネルを抜けた感じはあります。『2099』の頃は「いつか終わると信じよう」みたいな感じだったので。

今はある程度、リスキーな音楽を出しても受け入れられるだろうって思えるんですよね。あの頃は、こんな変な音楽を出す必要ないってムードだった。だから、今回は振り切れたものを集めてますよね。

―最後に聞きたいんですけど、BIGYUKIの活動はNYのアフリカン・アメリカンのコミュニティにかなり根差してますよね。音楽的なアイデンティティの中にも、アフリカン・アメリカンの音楽に通じるグルーヴやセクシーさは見受けられると思います。でも一方で、BIGYUKIは日本生まれの日本人、平野雅之であるわけですよね。彼らのコミュニティの中にいて、カルチャーも理解していて、一緒に活動していて、受け入れられてもいるけど、あくまで違うコンテクストから来た人間であり、共有していない歴史や経験もある。

BIGYUKI:そうですね。








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ロバート・グラスパーを交えた集合写真

―そういう立場のBIGYUKIの音楽は、アフリカン・アメリカンのコミュニティにどっぷり浸かっていて、絶大なリスペクトがありつつも、音楽的にはアフリカン・アメリカンのコンテクストをそのままなぞっているわけでもない、教会でゴスペルを弾いてきた経験があっても、ピアノの演奏にゴスペルっぽさがある感じでもないし、ヒップホップを敬愛していても、プロダクションはUKのダンスミュージックっぽい感じになったりする。そのズレてる感じ、異物感こそがアメリカのシーンの中で唯一無二の個性になっているとも思うんですよ。同じ文脈を共有してるし、それを演奏できる技術も、作曲する知識もあるんだけど、同化しようとするのではなく、わかったうえで違うものを出してますよね。

BIGYUKI:天邪鬼ってのもあると思いますけどね。現場でそのまま期待された通りにやれる自負はあるけど、それをやるなら自分じゃなくていいんじゃないかとも思うから。ひと捻りしたくなるんですよ。

あと、カルチュラル・アプロプリエーション(文化的盗用)って言葉がありますよね。カルチャーを理解せずに上澄みだけを掬って、そのコミュニティに還元せずに自分の利益にしてしまうみたいな。どうやったらそうならないかってことは考えますよ。自分が好きってだけで無邪気な気持ちでR&Bやりますっていうよりは、もうワン・レイヤーの深みが必要じゃないかと。自分はブラックミュージックが好きだから、彼らのコミュニティの中でやってきたんだけど、それは自分がそのコミュニティに受け入れられてきたからできてたわけですよね。俺がまだ今みたいに弾けない頃から受け入れてくれた人たちがいたから。そうやって活動してきて、今、自分がやるとしたら何ができるかなってことは考えますね。

ひとつは、今まで自分が得てきたものを自分のフィルターを通して出すわけだけど、それは正直なものでなければならないと思うんですよ。「あれっぽくしたい」ってなるとそこに誠実さはないと思うし、それはカルチュラル・アプロプリエーションになるかもしれない。でも、そういうのってすごく難しいんですよね、どこからどこまでが盗用なのかの解釈は人によって違うだろうし、そんなことを考えてない人もたくさんいるだろうし。模倣もスタイルを学ぶ上での重要なプロセスではあるから。でも、何も考えずにブラックミュージックをやってますってなっちゃうと難しいとも思うし、意識してやる必要はあると思う。

あと、還元するにしても、困っているところに寄付をするとかではなくて、もっと意識的なところで還元することは考えたいですよね。そのカルチャーの歴史や背景を理解して、その上でそのカルチャーをひとつのアートフォームとして捉えたうえで正直に作って、そこに誠実に向き合うことが必要なのかなと思います。そこを無自覚に不誠実にビートがかっこいいとか、歌い方がかっこいいとかでスタイルだけを真似て、それを作り替えるってことは俺は絶対にしたくない。自分が仕事で雇われているときはそのスタイルを心を込めてやるけれど、自分の作品を作るときは違いますよね。ブラックミュージックは大好きだし、それが自分の音楽のファウンデーションにあるのは大前提にあっても、自分から出てくるものが違うものだったら、それこそが自分だと思うので。それに違うものが出てきても、そこには確実にブラックミュージックの影響はあるわけで、影響って思いもよらない形で出てくるかもしれないものだから。








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カマシ・ワシントンを交えた集合写真

―BIGYUKIが参加したア・トライブ・コールド・クエストのラストアルバム『We Got It from Here... Thank You 4 Your Service』はブラック・コミュニティの問題意識を表現しているし、カマシ・ワシントンの音楽にもそういうメッセージが込められている。そういう音楽に関わり、彼らのコミュニティにも出入りしながら、異なるカルチャーで育った人間として経験したり考えてきたことが、何らかの形で自分の作品にも出ている気がしました。

BIGYUKI:正直、そこはあまり意識はしてこなかったですね。でも、俺が意識しないで済んできたのも、ある種のプリヴィレッジ(特権)だと思うんですよ。彼らが俺を受け入れてくれたからこそ、そこと向き合わずに済んでいたわけですから。それに俺はアジアン・アメリカン(アメリカ生まれのアジア人)でもないわけですよね。アジアン・アメリカンはどこかで「自分は何者なのか、自分のルーツはどこか」という問題に行き当たるみたいで、アーティストにもそういう人はいますが、そうやって意識的に掘り下げる人を見ていると、アイデンティティって難しいものだなと思ったりもします。

アジア人はアメリカだと白人社会とも黒人社会とも違うわけで、「自分は何者なんだ」と考える気持ちはわかりますけどね。アメリカ社会で長い間、無視されてきた存在でもあるわけだし。でも、俺は日本の三重で生まれ育ってきたから、自分は何者なのかなんて考えることはない。だからこそ「人種なんか関係ない」とか言えちゃうんですけど、それは自分の中に日本の三重出身というファウンデーションがあるからですよね。それがなかったらそんなことは言えないと思う。もし、ファウンデーションがなかったら意識しますよね。それも自分が得ていたプリヴィレッジのひとつなんだなって今は思うようになりました。




BIGYUKI
『Neon Chapter』
発売中
配信・購入リンク:https://jazz.lnk.to/BIGYUKI_NCPR

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