ヘヴィメタル/ハードロック伝説 KISS、ガンズ、メタリカ等の知られざる素顔を増田勇一が語る

メタリカ「ついつい話が長くなる男」

久しぶりに会ったときの反応が面白かったのはメタリカ。フリーランスになってからも、ジェイムズ・ヘットフィールドとの取材の機会はたびたびあって、たとえば2010年に『デス・マグネティック』のツアーで来日した際にもさいたまスーパーアリーナの楽屋で、彼とは話してるんですが、ラーズ・ウルリッヒやカーク・ハメットとは久しく会っていなかったし、ロバート・トゥルージロには取材をしたことすらありませんでした。

ところが、2013年に彼らが来日し、サマーソニック大阪の楽屋で4人個別に話を聞く機会があって。ミート・アンド・グリートの合間に15分ずつ話を聞くことになって、まず最初に現れたジェイムズは3年前のことを覚えてくれていて、「お前かよ!」みたいな反応をしてくれ、気持ちよく話をしてくれました。2人目のカークも「もちろん覚えてるよ~」という軽いノリで話をしてくれ、3人目のロバートも初対面にもかかわらず「みんなから話は聞いてるよ」と言ってくれました。「みんなから聞いてる」ということは、最初のインタビュー相手だったジェイムズが何かを言ったということになりますよね。だけど4人目のラーズは、僕が席で待機していると、眉間にシワを寄せながら「誰、お前?」と言わんばかりの表情で向こうのほうから近づいてきたんです。「あれ? ジェイムズが何か言ってくれてると思ったのは勘違いだったかな……」と思っていると、僕の目の前まで来たラーズはクルッと表情を変えて、笑顔で「元気だった?」と言ってきたんです。あれは面白かったですね。

今のところ、最後に彼らの取材をしたのは2017年のソウル公演のときで、それ以来彼らはアジアに近づいていないんですが、そこでジェイムズ30分、ラーズ40分という珍しい時間の切り方でインタビューをしました。ラーズは短い時間だと質問に答えきれないから、「ちょっと長めに設定して」と自分からリクエストしているらしいんです。たしかに、僕がこれまでに最も長いインタビューをしたのは彼で、120分テープが往復して「ごめん、テープが終わったから入れ替えます」ということがありました。それは『メタリカ』、通称ブラック・アルバムの完成間近のレコーディングスタジオで行ったインタビュー。彼は同じことを何度も言うから話が長くなるんです。あのときは、その時点で収録が決まっていた曲について1曲1曲丁寧に話をしてくれたし、「自分たちは次のステップへ進まなきゃいけない」みたいなことも話してくれたと思うんですけど、とにかくすごく熱のある人なんです。

あの当時はメタリカが使っていたワン・オン・ワン・スタジオにも2回ほど行きました。あの頃はバンドに関わるすべての工程をビデオに撮っていて、スタジオや至るところにカメラが置いてあったんです。当然、インタビューの様子も撮られていて、その結果、VHS2本組のドキュメンタリー作品『コンプリート・シーンズ・オブ・メタリカ』が出るときにソニーから呼び出され、作品に僕がちょっとだけ映り込んでいるけども肖像権のことで訴えないという旨を契約書にサインさせられました。

話はさらに遡りますが、メタリカのメンバーと初めて会ったのは初来日時に『BURRN!』でメンバー全員の個別インタビューをおこなった際のこと。僕はカーク担当でした。ちょうど彼の誕生日が近かったので、バースデーケーキを用意して、「Happy Birthday, Kirk!」みたいな写真を撮りましたね。クリフ・バートンが亡くなった直後だったので、どんな顔をして彼らに会えばいいのかわからない感じではあったんですけど、だからこそ楽しげな写真にしたいという気持ちがあったように思います。カークは日本のカルチャーが好きで、その時もGASTUNKのTシャツを着ていたんですけど、アニメやコミックにも精通していることはよく知られていたので、僕は『北斗の拳』のムック本をプレゼントしたんです。ただ、インタビュー開始前に渡してしまったのが間違いでした。取材中、彼はずっとそれを眺めていましたから。

当時は洋楽を扱う媒体が多かったし取材枠もけっこうあったので、できるだけほかとは違う写真を撮りたいということでバックドロップをつくったり、カークのバースデー・ケーキのときのようにいろいろ工夫をしていました。そのおかげでエアロスミスにも褒めてもらったことがあります。



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エアロスミス「インタビュー中に閃くスティーヴン」

エアロスミスは77年1月に初来日したんですが、当時、僕は高校生でお金がなかったので観に行けませんでした。それ以来、彼らはずっと日本に来ず、『パーマネント・ヴァケイション』のツアーまで時間が空きました。ちゃんと彼らの取材ができたのはこのときで、僕も気合を入れてエアロのバックドロップを作って持っていったら、それをジョー・ペリーが褒めてくれたんです。あれはうれしかったですね。そこからちょこちょこ彼らに取材をするようになりました。

エアロは『BURRN!』でも『MUSIC LIFE』でも表紙になる人たちだったので、新譜が出るタイミングでは電話インタビューをしたり、来日前のタイミングではアメリカツアーを取材しに行ったり、いろいろなケースがありました。でも、意外とこぼれ話はないんですよね。あるとしたら、スティーヴン・タイラーがインタビュー中に歌い出すことでしょうか――。

彼らの新譜のリリースタイミングでは世界中のプレスが1カ所に呼ばれ、順繰りにインタビューをするという機会が設けられるようなケースもあるんですけど、そういう場では各媒体の持ち時間が15分とか厳密に決められていて、1秒たりとも延長させてもらえない。マネージメントの関係者がストップウォッチ片手にチェックしてたりするんです。

ところが、スティーヴン・タイラーの場合、質問に答えている最中、何かを喋っているうちに自分の言葉が歌詞みたいなフレーズになっていくことがあるんです。そして、突然それを歌い出す。ミュージカルみたいで楽しいですけど、時間制限を設けられているこちらとしては「ごめん。そこは活字にならないし、勘弁してほしいんですけど」と困惑させられることがたびたびありました。これはヴォーカリストあるあるで、スティーヴンに限らず、ブラック・クロウズのクリス・ロビンソンもそんなタイプでしたね。



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