ヘヴィメタル/ハードロック伝説 KISS、ガンズ、メタリカ等の知られざる素顔を増田勇一が語る

増田氏が所有するバックステージパスの一部



ガンズ・アンド・ローゼズ「アクセルとイジーの『いい話』」

87年9月、エアロスミス『パーマネント・ヴァケイション』とほぼ同時に登場したのが、ガンズ・アンド・ローゼズの『アペタイト・フォー・ディストラクション』でした。彼らについては、88年12月の初来日時の話に尽きますね。一度来日が延期されている間にアメリカで『アペタイト~』が一気に売れて、日本でも人気が出た結果、再び組まれたホールツアーの追加公演が武道館というすごいスケジュールになりました。そのタイミングで「BURRN!」ではメンバー全員の個別インタビューをすることになりました。

今はなき六本木プリンスホテルというホテルが六本木3丁目にあって、メンバーはそこに滞在していました。コの字型の変な建物で、内側がガラス張りで中庭にプールがある。そして、2階にあるカフェテリアの窓際の席から内側を見ると、誰がどこの部屋に入ったのか丸見え。宿泊客のプライバシーがまったく守られていない不思議なホテルだったんです。そんなところが彼らの取材場所でした。まず、マネージメント側から「アクセルのインタビューは保証できない」と言われたものの、他4人のインタビューは予定通り、何の問題もなく実施されたんです。すでにアクセルはそれ以前に表紙を飾っていたので、そのときはスラッシュを表紙にすることになり、何か面白い写真を撮りたいと考えた結果、季節的にその頃はお歳暮シーズンだったので、取材当日にデパートに立ち寄り、小さな日本酒の酒樽を買って行ったんです。それを片手に抱えた、くわえ煙草のスラッシュの写真が表紙を飾ることになりました。実際、スラッシュは日本酒をとても気に入っていたんですよ。ホテルのガラス越しに見える廊下を彼が、ルームサービスで注文した日本酒が入っているガラスの徳利を持ちながら上半身裸でウロウロ歩いている姿を今もよく憶えています。それで徳利から直で日本酒を飲みながら、誰かとすれ違うたびに「モシモシ」と声をかけてて。彼は日本人が「モシモシ」と言いながら電話をかける様子を見て、「Hello」の意味だと思ってたんでしょうね。そんな経緯もあったので、小道具に日本酒を持っていったら喜ばれるかも、と考えたんです。本人も「すごくクールだ」と喜んでくれました。

そんなふうにして4人分のインタビューを終えて、残るはアクセル。するとある夜、伊藤政則さんとうちの編集長にレコード会社経由で六本木のステーキ・レストランに呼び出しがかかり、そこで突発的にアクセルの日本での初インタビューができてしまったんです。その翌朝、何も知らない僕が出社すると、編集長から内線があって、「ごめんな、お前を呼ばなくて」「はっ?」「昨日、アクセルのインタビューができて……」「なんスか、それ!?」という話になったわけです。

でも後日、幸運にもちゃんと時間が取れて僕もアクセルのインタビューができました。ホテルの部屋に入ると、彼はルームサービスの小瓶のビールを飲んでタバコを吸いながら、おつまみのとんがりコーンを食べていたんですけど、当時、デイヴ・リー・ロスも担当していたパブリシストが僕のことを紹介すると、吸っていたタバコをすぐに消して挨拶をしてくれました。インタビューもすごく丁寧に、40分ぐらい応えてくれたんです。

ところで、前述のように編集長がひと足先にインタビューを済ませていたことで、ひとつエピソードが増えることになりました。あまりに突然の出来事だったため質問を用意することもできなかった編集長は、苦し紛れに「自分の棺桶に入れたいアルバム3枚」を聞いていたんです。そこでアクセルが何を挙げたかというと、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』、自分たちの『アペタイト~』、そしてクイーンの『クイーンII』。その話を聴いていたので、僕は取材当日の朝に『クイーンⅡ』のCDを買いに行き、それをアクセルにプレゼントすることにしたんです。というのも、クイーンの旧譜は当時アメリカではまだCD化されていなくて、しかも日本でも初CD化されていたばかりで、他でもない『クイーンⅡ』のライナーノーツを僕が書いていたんです。取材時、すべての質問を終えた後、「プレゼントがあるんだけど……」と彼にそれを渡すと、それまでは「イッツ・ソー・イージー」の歌い出しのような低い声で喋っていた彼が、「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」の声になって喜んでくれた……と言えばその時の彼の様子が伝わるでしょうか。「CDあんのかよっ!」って。ちなみにその後、アメリカでクイーンの旧譜はハリウッド・レコードからリリースされたんですが、その契約にもアクセルがひと役買っていたようです。

実は、ガンズのメンバーの中で一番縁があったのはイジー・ストラドリンでした。彼の取材は初来日のときにしていて、そのときの彼はけっこうヨレヨレで。それから数年が経ち、ガンズは『ユーズ・ユア・イリュージョン』を録り終わったものの、なかなかアルバムが出ない。そんな状態でリリースの4カ月も前に全米ツアーが始まったので、僕はその序盤、インディアナポリス公演を観に行き、彼らに取材することになりました。ただ、リクエストは控えめにして、当時新加入だったマット・ソーラムをインタビューすることに。

当日、会場に早く着きすぎてしまい、まだ受付でプレスパスを受け取ることができませんでした。で、当時はまだこういった現地取材に慣れていなくて、今となると素人の発想で恥ずかしいんですけど、「関係者の駐車場のほうに行けば、もしかしたらマネージャーに会えるかもしれない」と思って行ってみたんです。そうしたら、偶然、イジーの車が入ってきて、「あ、イジーだ!」と声を上げて車の行方を目で追っていると、なぜか車が戻って来て、こちらの前で止まったんです。そして、彼はこう話しかけてきました。「日本で会った人だよね? あとでね~」

その後、無事にマネージャーと会えて、楽屋でマット・ソーラムのインタビューをしていたときのこと。スケボーで遊んでいたイジーが、「あとでインタビューやろうよ」と言ってきたんです。「えっ!? こっちは大歓迎だけど、マネージャーさんに確認しないと……」「いいよ、そんなの。でも、そのほうがいいならそうして」。それでマネージャーに「実はイジーがインタビューしようと言っているんですけど……」と確認したら、「それ、奇跡だよ! 俺がいくら言っても何もやってくれないんだから!」と言うんです。それぐらい彼のことをコントロールできていない時期だったんでしょうね。それでほんの30分ぐらい、イジーにいろいろ話を聞くことができたんですけど、彼は「いや~、俺はアルバム2枚同時に出すなんて嫌だなあ」「前座もスキッド・ロウじゃなくて、ジョージア・サテライツとかのほうがよかったなあ」なんて話をするわけです。おそらく、それが彼自身にとってガンズでの最後のインタビューになったはずです。このときのインタビューを翌月の『BURRN!』に載せたタイミングで彼の脱退のニュースが届いたので。僕が見ている限り、彼はそんなにシャキッとした印象ではないんだけど、とにかく穏やかで、フランクに話してくれる人でしたね。



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