武井優心とタカハシマイが語る、ベッドルームミュージックから生まれた新ユニットの全貌

ー以前から2人で曲作りをしていたそうですが、具体的にどういうことをされていたんですか?

武井:僕は基本的にゴールを設けないで曲を作り始めるんですけど、肉付けをしていく中で、どこの誰用の曲を書いているんだろう?という作品が出来てくるんです。そういう曲をタカハシさんに歌ってもらっていて。シューゲイズ寄りのものだったり、ゴリゴリにサイケ寄りのものだったり、Czecho No Republic(以下、チェコ)のライブでラインナップされないようなテイストだけどもったいないよねみたいな曲を楽しんでいたんです。

タカハシ:チェコではある程度みんなが楽しんでもらえるようにということを考えてきたから、ちょっと自己満的な曲たちが生まれたら、それは2人で作っていたというか。

武井:そういう曲を、いつか昇華したいなという気持ちはあったんです。

ー最初はある意味、無意識的に曲を作って、チェコの曲としてアレンジするかどうかを決めていくようなイメージでしょうか?

武井:チェコの曲は、わりとライブ想定で作っていくというか。今までチェコが築いた立ち位置みたいなものを、自分でも知らずのうちに意識していたんだと思います。プレイ的にも最低限の上限レベルを知らないうちに設けていた部分があって。そういう意識から外れる曲が反動のように出てくる時があったんです。逆にLiving Rita用の曲を書いていたら、思ったよりポップになって、チェコに回そうというバージョンもあったりします。

ー曲作りの中でタカハシさんはどういうことを考えたりされましたか?

タカハシ:武井さんがデモを作った時に、感覚的にメロを変えたりしました。あとはコロナ禍での心情がすごい見える作品になると思ったんです。聴いてくれる人に広く届いてほしい気持ちは少なからずあるので、そういうところで偏りすぎないよう自分なりにどうしようかなと考えたりとかして。武井さんに提案したりしながら、制作の時はわりと言い合いというか、ちょっと気まずい時もあったりして。でも言いたいことをお互いに言い合って作っていっている感じではありました。

ーYouTube配信で「思い出したくないような時期もあった」とおっしゃっていましたが、それは今の話の時期のことですか?

タカハシ:いや、もっとひどい時もありました。

武井:そんなのあったっけ?

タカハシ:こういうところですよね(笑)。本人が覚えてないくらい、すごく気持ちが落ちた時があったんです。でも、そういう時にこそいいものが生まれるなと思って。そこをお互いに上手くコントロールしながら、いい感じに作れていけたのかなと。1人だったら、きっとすごく苦しかったと思う。

ー武井さんはコロナ禍で曲を書けない時期があったそうですね。そういう状況から抜け出したのは、どのタイミングだったんでしょう。

武井:Living Ritaで完全に1曲完成したなって瞬間があって。それが「Tonight」って曲なんですけど、そこから制作的にテンションが上がった感じでしたね。タカハシさんと一緒に作っていったというのもあるんですけど、その当時聴いていたような音楽と共鳴するようなものができた喜びもあって。そこから断片的に曲の欠片みたいなものが溜まっていったので、時間をかければこの曲たち全部ゴールできそうだなと。そうやって楽しみがちょっとずつ生まれた感じでした。

Rolling Stone Japan 編集部

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