flumpoolがデビュー記念日となる10月1日に新曲「その次に」を配信リリースした。7月に自分たちの会社を設立し、新たな一歩を踏み出した4人。独立への想いやこのタイミングであらためて見つめ直したバンドの在り方など、メンバー全員が包み隠さずありのままの本音を語ってくれた。【写真】flumpool 撮り下ろし―このタイミングで独立した経緯をあらためて教えてください。山村隆太(Vo):独立を思い始めたのはコロナ禍より前からですね。メンバーだけでまずは話し合って。
阪井一生(Gt):前の事務所に言ったのも、コロナ禍前ちゃう? 去年末ぐらいやもん。
尼川元気(Ba):独立に向けた会社との話し合いはずっとしてた感じやね。
―コロナ禍よりも前に独立を考え始めたのはなぜ?山村:前の事務所には13年育ててもらったという恩もありますが、ここから先はもっといい音楽を作るバンドになるために、強烈な変化を望む自分がいたんです。欲求ですよね。子どもが自立するっていう話じゃなくて、大人になっても何者にも縛られずに自分たちの足で立ちたいというのは、たぶん死ぬまで続く人間の欲求の一つだと思うんです。自立欲というか、それが2年前ぐらいから強くなってきて。成功も失敗も、自分たちの選択から学ぶことがあると思って、誰かの選択で失敗したくなかった。間違えるにしても、自分たちがそこで学ぶべきものを大切にしていった方が、将来的な成長に繋がると思ったんです。いろんな方のご恩を感じつつ、今は自分たちの足で一歩踏み出してみたいと考えていました。
―メンバー内で話し合ったということですが、反対意見はなかったんですか?尼川:反対っていうか、どういう独立の形に最終的になるかは、いろんな意見があり話し合いましたね。完全に独立もあったんですが、今回の形(自分たちの新会社を設立し、前の所属事務所である株式会社アミューズのグループ会社である株式会社A-Sketchと新たな体制で活動)になりました。
―元気さん自身はどんなスタンスだったんですか?尼川:僕は、最終的には独立に納得はしましたけど、どちらかというと保守派で。意図してることはすごく分かるんですけど、ちょっとずつやればいいんちゃう?っていう派なんですよ。けれど山村が一度決めたらバーン!って行きたい質(たち)なんで(笑)。それで話し合いを重ねて、今の形になって良かったなと思います。
―一生さんは?阪井:僕はノリノリというか山村賛成派やったんで。山村と二人で話してる時もありましたね。
―誠司さんは?小倉誠司(Dr):僕もどっちかっていうと保守派でしたね。完全独立となると、ジャンプした後の着地点が見えなかったんです。着地点が見えてから進んでいく方がいいんじゃないかとは思っていたので、最初は怖さとか不安の方が強かった気がします。でも尼川が言っているようにみんなで話し合いをしていく上で、それもいいかなっていう風に徐々に納得というか、魅力を感じていきました。