アレサ・フランクリン伝記映画『リスペクト』事実検証

5. フランクリンを「ソウルの女王」と命名したのは、プロデューサーのジェリー・ウェクスラーではない

シングル「リスペクト」とともにフランクリンがスーパースターの道を駆け上がるなか、アトランティック・レコードのプロデューサーであるジェリー・ウェクスラーはカメラマンの集団の前で彼女を「ソウルの女王」と宣言する。このシーンは、ウェクスラーがこの称号の生みの親であることを暗示しているものの、実際の名付け親はイリノイ州シカゴのふたりのDJである。1967年4月にフランクリンがシカゴのリーガル・シアターのステージに立つと、ザ・ブルースマンことパーヴィス・スパンとE・ロドニー・ジョーンズというふたりのDJがステージに登場し、ソウルの女王のために冗談混じりの戴冠式を行ったのだ。宝石を散りばめた王冠も用意されていた。「とてもうれしくて、ワクワクしました」とフランクリンは振り返る。「それ以来、ジャーナリストや世間の人々が私をこう呼ぶようになりました」

6.「エイント・ノー・ウェイ」のフランクリンのデュエット相手は妹キャロリンではなく、シシー・ヒューストンである

『リスペクト』は、フランクリンの人生とキャリアに欠かせない数名の人物を割愛している。そこには、トム・ダウドとアリフ・マーディンも含まれる。多彩な才能の持ち主であるふたりがプロダクション・編曲・エンジニアリングを手がけた作品は、1960年代後半のアトランティック・レコードでのフランクリンの黄金時代に欠かせないものだった。だが、ザ・スウィート・インスピレイションズの不在はもっとも強く感じられる。この伝説的R&Bグループは、フランクリンの多くのヒットと数えきれないほどのツアーでバック・シンガーを務めている。グループを率いたゴスペルシンガーのシシー・ヒューストン(ホイットニー・ヒューストンの母)は、フランクリンの伸びやかなバラード「エイント・ノー・ウェイ」に美しいコントラルトのヴォーカルを添えた。この瞬間はヒューストンの名高いキャリアのハイライトであるにもかかわらず、劇中で洗練された対旋律を披露しているのはフランクリンの妹キャロリン(公平を期すために言うと、キャロリンはこの曲の作曲者である)ということになっている。



ヒューストンが間接的にフランクリン屈指の人気作のインスピレーションを与えたことは、特筆に値する。1968年のスタジオアルバム『アレサ・ナウ』のレコーディングの休憩中にザ・スウィート・インスピレイションズはバート・バカラックの「小さな願い」のメロディーで遊びはじめた。この楽曲は、ヒューストンのいとこであるディオンヌ・ワーウィックがレコーディングしたばかりだった。フランクリンはそれを気に入り、ザ・スウィート・インスピレイションズはその場で編曲に取り掛かったのだ。

Translated by Shoko Natori

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