ディアンジェロと当事者が明かす、『Voodoo』完成までの物語

ディアンジェロ(Photo by Paul Natkin/Getty Images)


「ソウル大学」で見つけたもの

私たちが見ていたジェームス・ブラウンのお宝は「The T.A.M.I. Show」に出たときのもので、このコンサートフィルムにはマーヴィン、ビーチ・ボーイズ、ローリング・ストーンズも出演している。ジェームスは大トリを飾る予定だった。ところが、クエストラヴの説明によると、「ストーンズのマネージメントが、彼らをジェームスの後に出したがった。そこで、彼はカネを出させて話をのむことにした。結局、彼らにはジェームスの後に出ることは無理だった。彼は禅の境地にいるんだから」

クエストラヴとDは無言のまま、ジェームスの激しく、動きのすばやいダンスを見守っている。彼の足首は折れそうだし、脚の動きはぼやけて見える。彼の歌は、魂の奥底から漂い出たものだ。「夜行列車に乗る準備はできたか?」。ジェームスはマイクに向かって踊り、ピタっと動きを止める。すると、どういうわけか一秒たがわず、バンドの演奏がとまる。クエストラヴはそこを何度も巻き戻して見て、バンドの一体感に舌を巻く。

「照明もぴったりだ!」とクエストラヴ。「まぐれだろうけど」

「いや、そんなことはない」ニューポートをくわえたままDが言う。「彼らはジェームスを見てるよ。彼の動きを全部把握してる」。Dの話す声は深みがあり、物憂げな響きは喉の奥からとろけ出ていて、低く、つぶやきにも似たヴァージニア訛りがある。



『Voodoo』の制作期間中、二人は日替わりで1、2本のお宝をじっくりと見た。「俺が毎週お宝を持ってこなかったら」とクエストラヴ。「おまえは98年には『Voodoo』を出せていただろうな」。プラチナディスクに輝いたディアンジェロの1995年のデビュー作『Brown Sugar』(作曲とレコーディングは全て、ヴァージニア州リッチモンドの実家でディアンジェロが手がけた)に続く作品としてスタートしたものは、ソウル・ユニヴァーシティでの5年間の研究に取って代わった。大学は授業、おふざけ、ゴシップからなり、鍛錬とサボりの量は均等だった。「学生たちが退学を嫌がる理由がわかるだろう」とクエストラヴは言う。「スタジオに出かけ、まったく新たな世界に歩み出せるとなれば、気持ちも楽だよ。エンジニアが来て、今週フォクシーがどうしたとか、洗面所の落書きをどんなふうに描いたとか話してくれた。あるいは、俺とラゼール(ザ・ルーツの元メンバー)でチコ・デバージのふりをして、Dに電話したとかくだらない話もある。まるで学校だった。そのせいで4年かかったけどね。生憎、身持ちの悪い女性もいなかった。乱交もなし、ドラッグの狂気もなし、法に触れるトラブルもなし。彼が誰かともみ合いになったけど、支障にはならなかった」

「あれはまさに学校だったよ」とDは言う。「俺は大学には行ってない。だから、それと同じ価値があるものだった。自分たちは音楽が好きなのだという気持ちに戻してくれるものだった。『Brown Sugar』を出したあと、俺はそういう熱意がすっかり失せていた。3時にセブンイレブンでタバコ1パックを買って、自分があっぷあっぷなのに気づかされたり、サインを書いたりせずに済ませることはできただろうな。業界の状況を目にして、俺はうんざりしていた。繰り返し何度も言わなければならなかった。そもそも自分はなぜそういうことをしていたのか。そして、その理由は、音楽への愛である、と。強いていえば、たとえ、このアルバムをやらなかったとしても、俺はずっと音楽とつきあってゆくだろう。つまり、おれは呪われているのさ、死の当日まで呪われ続ける。それなら、音楽こそが俺がやるべきことなのだと」

Translated by Masaaki Kobayashi

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