ディアンジェロと当事者が明かす、『Voodoo』完成までの物語

神童としての生い立ち

ある日のこと、ヴァージニア州リッチモンドで、10歳のルーサー・アーチャー(ディアンジェロの7歳上の兄)が家に着くと、弟がピアノを弾いているのに気づいた。「マイクは3歳、それは叩いているのではなかった」。ルーサーは畏怖の念をもって言う。「きちんと曲になっていて、メロディも左手で弾く部分もあった。それからほどなくして、彼は父の教会で演奏し始めた。彼はペダルに足を伸ばして、淀みなく演奏しなければならなかったけど、かなりうまくやり遂げた」
 「自分がやっていた覚えがあるのは、本当にそれだけ」とマイケル・ディアンジェロ・アーチャーは言う。「俺は3歳で気づいた。俺の兄たちも気づいた。俺は準備してもらえた。それこそが自分があるべき姿、するべきことだと、ずっと気づいていた」

幼くして彼の将来が約束されていたことを伝える家族の話を挙げておこう。幼稚園のタレント・ショウでなんら無理なく優勝していたため、それ以後、学校でのタレント・ショウへの参加が彼には許されなかった。7歳のマイクが9学年のルーサーにプリンスの「Do Me, Baby」の弾き方を教えたこともあれば、ルーサーとその下の兄ロドニーがこの末っ子をモールに連れていったとき、オルガンを販売していた店の前で立ち止まると、彼をキーボードに向かって座らせたこともある。このときは数分もしないうちに、その場の人の流れを彼が止めてしまった。

「母が使っていた小部屋があてがわれた彼は、そこに楽器を全部持ち込んだ。そして、毎日そこに3時間いた」というルーサーは、『Voodoo』で「Africa」「The Root」「Send It On」を共作している。「16、7年間、彼が音楽に関わらない日は一日もなかった」

「演れるところならどこでも演った」とDは幼年時代について話す。彼の父はバプティスト教会の牧師だ。彼が演奏を始めたのは父の教会だった。そのあとは母親と暮らすようになり、ヴァージニアの片田舎、ポーハタンの教会で演奏した。「そこは、本当に足を踏み鳴らすようなペンテコステ派のホーリネス教会だった」と彼は言う。「叫んだり、異言を話したり、まさに燃え盛る火だ。そこで俺は育った。そこで俺は弾いていたんだ」


Photo by John Shearer/WireImage

Dは二人のいとこと「スリー・オブ・ア・カインド」というグループを始め、地元のタレント・ショウを総なめにした。次々にタレント・ショウで演奏し、優勝するか、上位に入賞した。ルーサーとロドニーは、地元の高校ではフットボールのヒーローとして毎週TVや新聞に出ていた。マイクはたしなむ程度だったが、家族からは誰ひとり彼の試合に来る者はいなかった。「俺に大切なのは音楽だとわかってたのさ」

ルーサーはプリンス好きの弟に助け舟を出した。二人の父親は牧師で、叔父と祖父もそうだった。となると、二人が『Lovesexy』を持ったまま家に入るのは無理だ。しかし、男子二人はそれを密かに持ち込む方法を見つけた。「俺がプリンスを好きなのは、間違いなく兄の影響だ」とDは言う。「俺たちは最新アルバムをいつも発売初日に手に入れた。それを細かく分析して、研究した。聴いたあと、俺たちはそのアルバムについて意見を言いあったりもした。ずっとそうしてたんだ」

「俺たちはよく、俺のクルマに乗ってた」とルーサー。「街を流しながら、何もせずひたすらプリンスのテープを聴いていた。クルマは赤のフォード・プローブで、満足できるオーディオシステムが搭載されてた。俺たちは家から外に出かけて、爆音で音楽を聴いていたのさ」

Translated by Masaaki Kobayashi

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE