岡村靖幸が禁断のエロスに取り組んだ『DATE』、当時のプロモーターが振り返る

西岡:当時、プロモーションとかいろいろなことをやっていたんですけども、いろいろなことがあってようやくアルバム『DATE』。2枚目に辿り着いた感じですね。

田家:このアルバムを2枚並べて気づくこと。まず何よりもジャケットが変わった。

西岡:そうですね。もう本当に俺だよっていう感じのイイ男です(笑)。

田家:カメラを凝視してね。シリアスな感じで「勝負してるぞ」という、自信満々な感じの表情です。その1年間で何が変わったか、この後いろいろお訊きしていくんですけど、1番変わったのはどんなところでしたか?

西岡:ちょっと先週言い忘れたんですけども、1stアルバムが素晴らしい出来だったんだけれども、彼がずっと先に行っていて、まだスタッフが追いついてない感じがしたんです。音楽的な部分もそうですけど、彼が考えていることとか、実行してることになかなかスタッフが追いついてなかったとあらためて思いましたね。

田家:先週のお話の中に随所にあった、当時のEPICには岡村さんのようなアーティストがいなかった。

西岡:それもそうですし、僕らも逆に彼によっていろいろな媒体を開拓するとか、新しいところに進んでいく形になっていった気はします。

田家:福田さんはこの時はまだ札幌の営業所にいたという。

福田:この時は東京に戻っていまして、洋楽の配属になって、洋楽のプロモーションをずっとやってた時代ですね。

田家:違うセクションにいて、『DATE』は意識されてました?

福田:知ってました。ただ、マイケル・ジャクソンとかシンディ・ローパーとか、すごい人たちのLPが出ていた状態だったので。

西岡:当時、洋楽と邦楽は本当に1つのフロアで切磋琢磨していた感じだから。

田家:そういう方がこのアルバム『DATE』をどんなふうに聴いていったのかも、後ほど伺えたらと思うのですが、西岡さんが選ばれた今日の1曲目、アルバム『DATE』の1曲目でもあります、「19(nineteen)」。

Rolling Stone Japan 編集部

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