『GUNDA/グンダ』映画評 モノクロームの映像美で綴る、ある母豚の日常

少なくとも、これが『GUNDA/グンダ』の印象である。視覚技術が生み出す強烈なテクスチャーとすべてを俯瞰する神のような力によって、ありのままのグンダが映し出されている。人間は登場しないものの、カメラを動かしているのがグンダや牛たちだとは誰も思わないだろう。同作は、動物たちを擬人化せずに‘個’として描き、人間が与える明確なインパクトを無視することなく人間を排除している。餌をやっているのは人間だ。動物の世界を分割して柵を設けたのも人間だ。誰か(コサコフスキー監督)があの納屋を建て、誰かが干し草を置き、養鶏場に鶏を入れた。そこから鶏たちは、突然与えられた自由は何らかのイタズラなのではないか? と不審に思う囚人のようにゆっくりと養鶏場から出てくる。そして、衝撃的な結末につながる農業車両を運転しているのも人間なのだ。


© 2020 Sant & Usant Productions. All rights reserved.

『GUNDA/グンダ』の悲劇は、少なくとも映画のストーリーの範疇においては人間の産物である。そして同作は、このストーリーに抗おうとはしない。というのも、同作は終始『プラネットアース』のようなドキュメンタリーの単純明快なストーリーの楽しさを拒絶しているのだから。コサコフスキー監督は、ストーリーに抗っているわけではない——最終的には、そうすることが賢明だったのかもしれないが。命は誕生とともに始まり、死で終わる。それ以上でもそれ以下でもない。監督の敵は、かわいい擬人化なのだ。だからこそ、グンダの赤ん坊のピンクがかった白さや色味の違う目といった要素は、すべて同作から排除されている。自然という魔術師が生み出す音響デザインは、私たちの没入感をさらに高めてくれる。カメラの前で放尿したり、カメラをじっと見返したりする動物のシンプルな動きを通じて私たちが動物の感情的ならびに社会的な生活を目の当たりにするとどうなるのだろうか? 私たちは、彼らにより親しみを感じ、ただかわいいというよりは自然体である動物たちに以前よりも無頓着でなくなるのだ。納屋から顔を出して雨粒を飲もうと口を開ける子豚は気高さすら感じさせる。それは、かわいいという概念とはかけ離れたものである。

『GUNDA/グンダ』は、第92回アカデミー賞のドキュメンタリー部門のショートリストに選出された。賞は逃したものの、オスカーを勝ち取ったNetflixのドキュメンタリー映画『オクトパスの神秘:海の賢者は語る』と比べてみようではないか。『オクトパスの神秘』は、タコと友達になった男性の物語で、人間が自然界と交流するという感覚は、自然そのものを超越している。この点を踏まえると、『GUNDA/グンダ』が賞を逃したのは仕方のないことなのかもしれない。だが、同作は決して難解な映画ではない。そのような印象を与えるかもしれないが、それは気にしないでほしい。ストーリーもシンプルだ。それに、人間という存在を劇中からカットしたという点で、人間とタコの奇想天外なカップルの物語よりも道徳的に優れているというわけでもない。形態の限界という、超越できないものを提起しようとしたという点で優れた映画なのだ。『GUNDA/グンダ』も『オクトパスの神秘』も滅びゆく世界の視点から自然を真剣に見つめることを切実に訴える作品である。両作とも、「彼/彼女を救え」というメッセージを伝えている。両作とも最新の映像技術を屈指している。だが、コサコフスキー監督の作品は静けさを湛えているからこそ、その訴えがより差し迫ったものとして強く響く。『GUNDA/グンダ』の美しさは、ひとつの手段にすぎない。あらゆる策略にもかかわらず、同作が達成した目的ははるかにリアルなのだ。


GUNDA/グンダ

12月10日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー
監督:ヴィクトル・コサコフスキー(『アクアレラ』)  
エグゼクティブ・プロデューサー:ホアキン・フェニックス
プロデューサー:アニータ・レーホフ・ラーシェン 
共同プロデューサー:ジョスリン・バーンズ
2020年/アメリカ・ノルウェー合作/93分  
配給:ビターズ・エンド
© 2020 Sant & Usant Productions. All rights reserved.

Translated by Shoko Natori

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