中嶋ユキノが語る、浜田省吾との出会いと波乱万丈の下積み時代

中嶋ユキノ



-川嶋あいさんのコーラスが始まりだったと。ここまでの話を聞いていて思ったんですが、ユキノさんは作詞作曲もコーラスもすべてナチュラルボーンというか、誰かに教わって習得してきたわけじゃないんですね。

すべてが独学だったんです。大学へ入っても何か専門的なことを学ぶ前に川嶋あいさんの現場で歌っていたので。で、川嶋さんに関わっていたアレンジャーさんから「仮歌をやりませんか?」とお誘い頂いて、それからそのアレンジャーさんのところに通うようになって。ある日、とあるアーティストさんの楽曲コンペの仮歌を入れるときに「ラララじゃなくて、仮でいいので歌詞書けますか?」ということで、歌詞を書いて歌ったのですが、その後、曲と共にその歌詞も採用していただいたんです。それが初めての作詞採用でした。

-あ、その仮歌用の歌詞がそのまま採用されたんですね?

そうなんです! それが19歳ぐらいのとき。そこからコーラスと作詞の仕事を並行するようになっていくんです。

-それからどのような流れでシンガー・ソングライターになっていくんでしょうか?

私は曲を作り始めた時点で「絶対にシンガー・ソングライターでデビューするんだ」と決めてはいたんです。なので、その為の何かのきっかけになればと思ってコーラスや仮歌、作詞の仕事を並行していたんですけど、「私はなんでずっと仮歌のままなのだろう?」と苦悩する時期がずーっと続いていました。2003年から2010年ぐらいまで。この間に書いた曲がメジャー1stアルバムや2ndアルバムに入ったりしているので、ゆくゆくは「あの時期があってよかったな」と思えるようになるんですけど、当時は誰かの仮歌やコーラスが多くて、自分が歌いたい内容の歌詞も誰かに提供するしかなかった状況だったので、本当に苦しかったですね。自分が歌詞を書いた人はデビューしていき、自分が仮歌をしていた人の曲はヒットしていき、だから「なんで私はデビューできないんだろう?」とずっと思っていましたし、歌を始めたばかりの子たちの仮歌を担当した場合、しょうがないんですが、自分の歌のニュアンスをすべてコピーしてレコーディングするので、自分の個性も流れていってしまう感覚になりました。それもまた本当にツラくて……。

-自分を薄めて他のアーティストを華やかに彩っていく。こういう経験談は初めて聞いたかもしれないです。

なかなか異例なタイプだと思います。本当に試練の7年間でしたね。でも、その7年間がなかったら「今がない」と断言できるので、今振り返ると大事な7年間。要するにへし折られたんですね。音楽を仕事にするまでは「私は絶対にいける!」と確固たる自信があったんです。何を歌ってもみんなに褒められるし、多重録音もできるし、音楽の成績もトップだったし…、音楽だけは「敵はいない!」って感じだったから。

-でも、そこからよく試練の7年間を耐え抜きましたよね。そこまで理想と現実のギャップに苦しめられたら「もう無理だ」とリタイアしてもおかしくないわけで。

そうですよね。でも、私は「絶対に諦めない、諦めたら負けだ」みたいな根性があって、同時に「絶対に歌で成功するんだ!」という気持ちもずっとあって、それが今まで生きてきた中で消えたことはないんです。どんな形であろうと歌い続けていく。死ぬまで歌い続けていく。その確固たる決意がすべての支えになっているんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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