中嶋ユキノが語る、浜田省吾との出会いと波乱万丈の下積み時代

-それだけの苦労と想いがあって、ようやくシンガー・ソングライターとしてデビューできた当時はどんな心境だったんでしょう?

やっとシンガー・ソングライターとして、中嶋ユキノという名前で自分の作品が出せるようになって、2011年3月2日に『桜ひとひら』というシングルを配信リリースするんですけど、2011年3月11日に東日本大震災が起きるんですよね。ようやくデビューできて、その年を代表する桜ソングにしていくプロモーションも用意されていて、だけど、3.11によってすべてが失われてしまって、「やっと」という想いがすべてしおれていってしまったんですよね。2012年にその曲が入ったアルバムをリリースしたんですけど、その年にお世話になっていた事務所を辞めて独立することになるんです。

-本当に波乱万丈ですね。

ただ、そこで自分が「これだ!」と思える作品をイチから作りたいと思ったんですよね。それが2013年に作った『Starting Over』という6曲入りのミニアルバムだったんですけど、初めて弾き語りの一発録音に挑戦するべく毎日グランドピアノと必死に向き合って、レコーディングは1日で6曲分、一斉に行う形を取って。で、そのCDを1000枚売り切る直前に、浜田省吾さんと出逢ったんです。

-おぉー! ここまで「この主人公はいつ報われるんだろう? 早く報われてくれ!」と思いながらお話を聞いていましたが……。

アハハハ! 先程、試練の7年間と言いましたけど、そう考えると30歳になるまでが下積み時代ですね。

-下積み時代の長さが演歌歌手レベルじゃないですか(笑)。

たしかに(笑)。

-でも、そこでようやく運命の出逢いを果たすわけですね。

たまたま仮歌で関わっていたソニーミュージックの方が、浜田省吾さんがアルバムでフィーチャリング女性ボーカリストを探していたときに「中嶋ユキノさんというシンガーの方がいますよ」と推薦してくれたんです。なので、試練の7年間は無駄になっていないんですよ。そして「Journey of a Songwriter〜旅するソングライター」の中の「夜はこれから」にボーカル参加させていただき、そのまま浜田さんのツアーにもコーラスとして参加させて頂くことになりました。そこからが私のセカンドストーリー。ツアー中に、浜田さんが「中嶋さんはシンガー・ソングライターですよね。よかったら音源を聴かせていただけますか?」と言って下さって、『Starting Over』の音源たちを聴いていただいたんです。そしたら「とても良いですね」と褒めて下さって。さらに「シンガー・ソングライターの道を諦めるのはまだ早いと思います。よかったら、一緒にCDを作りませんか?」と仰って下さったんです。あのとき、スタジオで必死に弾けないグランドピアノと向き合って一発録音したミニアルバムがきっかけで、想像もしなかった未来に踏み出すことになったんですよね。

-映画化したほうがいいですよ、このストーリー。

アハハハ!

-これまでの人生がひとつ報われた瞬間じゃないですか。

私の中でミニアルバム『Starting Over』は、シンガー・ソングライターとして最後の作品かもしれないと思っていたんです。30歳を皮切りに私は仮歌だろうが、コーラスだろうが、もう悔しがらずに歌だけで生きていこうと決めかけていたんですね。でも、浜田さんに「諦めなくていいんじゃないですか」と言って頂いて、そして「一緒にCDを作りませんか?」と言って頂けたことで、私のシンガー・ソングライター人生はそこで終わらなかったどころか、ソニーミュージックからシンガー・ソングライターとしてメジャーデビューすることになったんです。

-しかも、浜田省吾プロデュース。

そこに関しては、最初は「浜田さんが初プロデュースするアーティストが私でいいのだろうか」と自信のなさが先走っていて。でも、このモヤモヤを抱えたままにしておくのは良くないと思って、今まで作った楽曲を自分で聴きなおして、浜田さんにも聴いて頂いたんです。そしたら「こんなにも良い楽曲がいっぱいあるんだから、絶対に大丈夫ですよ」と言って頂いて、それで7年間に作っていた楽曲をメインにメジャー1stアルバムを制作したんですよね。だから、あのアルバムは暗闇の中で眠っていた楽曲たちが日の目を見た作品でもあるんですよ。ちなみに、タイトルの『N.Y.』は私のイニシャルであり、「いつかニューヨークでライブが出来るように」という想いも込められているんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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