ビリー・ジョエルのソロデビュー50周年、「ピアノ・マン」が生んだ永遠の名曲を振り返る

『グラス・ハウス』期のビリー・ジョエル

ビリー・ジョエルのソロ・デビュー50周年を記念して、シングル曲/ミュージックビデオを完全網羅した3枚組(2CD+DVD)最新ベスト盤『ジャパニーズ・シングル・コレクション -グレイテスト・ヒッツ-』と、全キャリアを総括したムック本『MUSIC LIFE ビリー・ジョエル』が本日12月22日より発売。後者の編集担当・荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)に、「ピアノ・マン」が生み出した名曲の数々を振り返ってもらった。

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ビリー・ジョエルの音楽人生は恐ろしく長い。ソロ歌手としてのキャリアは50年だが、最初に世に出たレコードはザ・ハッスルズの一員としてリリースしたシングルで、1967年。さらに歴史を遡ると、人気ガールグループ、シャングリラスの1964年のヒット曲「リメンバー(ウォーキング・イン・ザ・サンド)」などのレコーディングでピアノを弾いたことが知られている。ビリーのピアノが発売されたヴァージョンに採用されたかどうかは定かでないが、いずれにせよ15歳頃から音楽ビジネスに首を突っ込んでいたことは間違いないようだ。

地元のロングアイランドをベースに東海岸で活動したザ・ハッスルズだったが、2枚のアルバムはセールス不振に終わる。続いてハッスルズのドラマー、ジョン・スモールと2人でオルガン&ドラムスのハード・ロック・デュオ、アッティラとしてエピックと契約。1970年にアルバム『Attila』(当時の邦題は『フン族の大王アッティラ』)で再デビューしたが、これもさっぱり売れなかった。さらに悪いことに、ビリーはスモールの妻、エリザベスと不倫関係に。このエリザベスが後年ビリーのマネージメントを取り仕切り、ブレイクへと導く最初の妻になるのだが。親友を裏切り傷つけたことから罪悪感に悩んだビリーは、自殺未遂を図る。音楽から足を洗うことも真剣に考えたそうだ。



『ピアノ・マン』期のビリー・ジョエル

周囲の励ましもあって、シンガー・ソングライターとして再起することにしたビリーは、1971年に『コールド・スプリング・ハーバー』で3度目の“再デビュー”。しかしこの大切なアルバムは、マスタリング時の事故によって声のピッチが上がった状態のまま出荷されてしまう。最初のソロ契約に不満を持っていたビリーは、突然行方をくらまして西海岸へエスケイプ。しばらくの間“ビル・マーティン”という偽名を使い、弾き語り歌手としてバーで歌った。このときの経験から生まれた曲が、彼にとって最初のヒット・シングル「ピアノ・マン」(全米25位)だ。



今回発売された『ジャパニーズ・シングル・コレクション』は、日本で発売された最初のシングルである「ピアノ・マン」(日本発売は1975年)から1994年までの日本盤シングルを、可能な限りシングル・エディットで収録したこだわりのCD2枚と、MVやライブ映像を満載した計42曲収録のDVD、3枚のディスクで構成。日本独自のシングルも含めて彼のキャリアを見渡せる、ボリューム満点のアンソロジーだ。


『ストレンジャー』期のビリー・ジョエル(Photo by Jim Houghton)

初めてフィル・ラモーンをプロデューサーに迎えた傑作『ストレンジャー』(1977年)からのシングルは、海外ではバラード「素顔のままで(Just The Way You Are)」(全米3位)が圧倒的な人気を誇るが、日本で最も愛されたのはタイトル曲「ストレンジャー」だろう。当時CMソングとして多くの人の耳に触れる機会を得たこの曲は、日本でもシングル・チャートで2位まで上昇。日本でのアルバム・セールスを100万枚まで押し上げる起爆剤となった。ファンキーな演奏が邦楽の作・編曲家たちに与えた影響も顕著。沢田研二「カサブランカ・ダンディ」、寺尾聰「ルビーの指環」、西城秀樹「ギャランドゥ」……70年代末~80年代の歌謡曲/シティ・ポップのアレンジに「ストレンジャー」の痕跡を見つけることはそう難しくない。



フレディ・ハバードなどが参加、ジャズへの接近を見せた『ニューヨーク52番街』(1978年)も、日本で100万枚を突破するベストセラーに。ここからシングル・カットされた「オネスティ」は、本国では24位と地味な成績だったが、日本ではまたしてもCMソングとして使われ、広く親しまれた。恐らく他のどの国よりも「オネスティ」を愛しているのは日本人のはず。この憂いのあるメロディとコード進行が、日本人の嗜好にフィットしたのだろう。1985年に最初のベスト・アルバム『ビリー・ザ・ベスト』が発売された際も、日本盤は曲目を変更して「オネスティ」が収録された。この曲のビデオを見ると、演奏メンバーに当時のフュージョン/クロスオーヴァーのスター、スティーヴ・カーンがいるのも、当時のビリーらしい。


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