坂本龍一が語る、『BEAUTY』で描いたアウターナショナルという夢のあとさき

インターネット前夜のロマンティックな夢

─一方でミュージシャンの方たちは「エスニシティの外に出ろ」と言われて、すぐにやれるものなのでしょうか。

坂本:アルバムのリリース後のツアーはアメリカから始まったのですが、バンドのベース、ギター、ドラムはアメリカやイギリスで活躍しているミュージシャン達だったんですが、いざやってみると全然面白くないんですね。フュージョンみたいになっちゃうんですよ。

─なりそう(笑)。

坂本:みんな抜群にうまいんですけど、いくら言っても全然ダメで、しょっちゅうキレていましたね。「お前の先祖はアフリカから来たんだろう。アメリカの音楽なんかやってんじゃないよ」って言って怒ったりしてました。そうしたことを一人一人に言っていって「分かった?」みたいな感じでやっていくなかで、少しは良くなっていったんです。



─すごいですね。

坂本:なぜ僕が強烈にそういう思いを持っていたかというと、いかにも「和」を意識したシンセサイザー音楽が、日本でも世界でも広く受け入れられていたことに対して、大きな反発があったからなんです。「日本人だから、日本人性を出すなんて、そんなばかな話があるか」と猛烈にそう思っていたんです。

─坂本さんご自身は、どのように、そうしたナショナリティやエスニシティの枠組みを超えていったんですか。

坂本:僕は元々そういうものがないんですよ。というのは音楽的な意味においてですよ。日常的なことでいえば納豆が好きとか、いろいろありますけれども音楽においては、日本の音楽は全然知らなかったですし、西洋の音楽で育ってますから、僕の場合、安住すべきエスニックな核がないんです。

─そうした無帰属性は、アメリカではどういうふうに評価されたんでしょう。

坂本:それが、完全に誤解されるわけですね。つまり、日本的な音楽をやっているんだと思われてしまうんです。

─ああ、なるほど。

坂本:その度にカンカンに怒ってました。「ふざけんじゃねえ」って(笑)。「こんな音楽、日本にも、アメリカにも、どこにもないだろう。俺しか作ってないだろう」って。「音楽のどこにも日本的な要素なんかないし、沖縄は日本じゃないし」と、インタビュアーにもカンカンに怒っていました。

─インタビューで常に坂本さんの「日本性」「日本人性」が話題になるわけですね。

坂本:日本人の顔をしているから、日本の音楽をやっているのだろうと思い込んでしまうわけです。その怠惰な精神が許せなくて、いちいち怒っていました。そこには、沖縄のものが「日本的なもの」だと誤解されてしまうことへの危惧もありまして、沖縄と日本では文化がまったく違うのだといったことを一生懸命説明するのですが、なかなか伝わらなかったですね。


『BEAUTY』のジャケット写真はミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイ、シャーデーなどを撮影してきた「ポートレートの巨匠」ことアルバート・ワトソンの作品。

─たしか『BEAUTY』のツアー映像で、「アウターナショナル」という概念を説明されるなかで坂本さんは「一人一人の人間が商人になっていく」といったことをおっしゃっていたのですが、その「商人=Merchant」ということばが個人的には非常に印象的でした。商人世界の面白さが、その後のグローバリゼーションの進行のなかで失われていってしまったことを思うと、なおさら「商人」ということばに込められたイメージは重要なものと感じます。


坂本:それは完全に柄谷行人さんの影響でして、そこで言った「商人」は、要するに国家と国家の間にいる、あるいは横断し、遊動していく、そういう人たちのイメージですね。都市や国家の外に出ている存在なんですよね。都市と都市の間を渡り歩きながら、交易や交換をもたらす、そうした商人のイメージには、いまなおものすごく影響を受けていて、それをいま「商人」という比喩を使うかどうかは別にしても、常に憧れてきた存在です。

─それこそ「バザール」なんていうことばに象徴されるような、活気あふれる商世界のイメージですよね。

坂本:バザールやマーケットと言われるものの猥雑さですよね。その猥雑さは、こっちで得たものを、あっちで高く売るという遊動性から生じるものですよね。といって、めちゃくちゃ値段を付けて売るわけではなくて、その遊動性に見あった価格がつけられるわけですが、そうした世界は、古代から原初的な国家や都市ができた頃からずっと続いているもので、ちょっとロマンティックな言い方ですけど、そうしたものは本当に消えて欲しくないですね。

─本来的にはインターネットが、その夢を担っていたところもあったとは思うのですが。

坂本:90年代においては、インターネットの普及は、個人的にもとても大きなことでした。インターネットは、完全に国境を越えて、アウターナショナルな世界という夢を実現してくれるものだったわけですよね。誰であろうと、どこにいようと個人として発信することができて、理想的な民主主義とアウターナショナルな市民の存在を可能にするものだと、ものすごく大きなロマンティックな夢を、やはり自分も当初は見ていましたし、それこそ最初の数年くらいは確かにそういう夢を見られたようにも思います。ただ、それも、企業が囲い込みをするまでの間の束の間のことでしたが。

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