Reiが赤裸々に語る、長岡亮介との再会劇「泣きながらギターを録りました」

今、コラボレーションを重ねる意味

─QUILTというプロジェクトの立ち上がりは自分と向き合う時間の中で思いついたアイデアだったんですか?

Rei:去年の11月にリリースした2ndアルバム『HONEY』は個にフォーカスした作品でした。そこからの反動もあって賑やかな作品を作りたいという想いがどんどん出てきて。自分自身と向き合ったことによって見つけられた発見があったから、今度はより強固になったアイデンティティーを人とのコラボレーションによって壊してみたいという気持ちと、いろんなものをぶつけられても揺るがないという自信のその両方があって。それで人とコラボレーションしてみようという流れになっていきました。



─強固になったアイデンティティーについて具体的に言えますか?

Rei:自分が弱い人間だということを認めたんですよね。私は強がりで、カッコつけたがりなところがあって。自分の音楽に対するプライド、それがずっと私のモチベーションであり、それに翻弄されていたところもあったし、それによって狭められてきた人生でもあったと思います。でも、そうやって人間的に弱い部分があるからこそ私は音楽にすがっていた。それはわかっていたけれど、作品にする中で深く自分の中で認めていった感じです。

─リリックにも表れていったし。

Rei:やっぱりリリックに出ますね。そういう自分の弱さや自分が傷ついてる様子をなるべく生々しい言葉で表現することによってリーチできたリスナーがいると実感できたのが『HONEY』でした。それまではどこかでマスに届けるために大人数の平均値を取ろうとしていたところがあったけれど、そうじゃなくて、もっと自分しかわからない歌を書こうと思えたというか。今回の「Don’t Mind Baby with 長岡亮介」という曲には“いつもはおしゃべりな / きみが静かにうつむくと”というリリックがあるのですが、以前だったらそこで「おしゃべりじゃない人(リスナー)もいるじゃん!」って自分の中でツッコミを入れてたわけですよ。いろんな人に共感してもらうことを意識しすぎて。

─聴く人を限定しないように。

Rei:そう。意識しすぎた結果、曲をどんどん捨ててしまっていた。だけど、一回勇気を出してパーソナルで内省的な作品を作ってみたら、自分が思っていた以上に深く共感してくれる人がいたからこれでいいんだって思えた。強がることが大事なときもあるけど、強がらなくてもいい部分を少しずつ作っていければいいのかなと。



─ソングライティングにおいて、ミクロに目を凝らすほどにマクロな広がり方をするという考え方があるじゃないですか。

Rei:それってセオリーだし、よく聞く話ですけど、いざ自分がやるとなるとやっぱり難しいんですよ。なぜかというと、定期的にメディアで自分の作品についてお話したり、ライブでたくさんの人の目の前に立ったり、チャートの中に入っていく自分の作品もそうだし、そういう活動の中でやっぱりお客さんを意識せざるを得ないわけです。そのお客さんのことをちゃんと愛していたいという気持ちがあると、届ける人のことを意識しないで作品を作るのはすごく難しい。パーソナルな曲のほうが深く届くことも最初からわかっているんだけど、一人でも多くのオーディエンスを増やしていくという過程の中では簡単にできることではなくて。

─でも、そこから振り切ることができた。

Rei:そうかもしれないと思うし、それは今の私の答えでしかなくて。この変化が絶対的なことだとは思わないけど、今はそう思って曲を書いています。

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