80年代のUK音楽シーン最先端を目撃した、日本人フォトジャーナリストの知られざる物語

ニュー・エイジ・ステッパーズ、エイドリアン・シャーウッドとアリ・アップ(Photo by Kishi Yamamoto)

2021年3月、ジャイルス・ピーターソンとブルーイのプロジェクト「STR4TA」(ストラータ)がアルバム『Aspects』を発表したのをきっかけに、イギリスで70年代末〜80年代初頭に起こったブリットファンクの再評価が進んだ。そのタイミングで僕が行った両者へのインタビューにも多くの反響があった。個人的にも数年前からUK音楽史のリサーチを進めており、その流れでブリットファンクやその周辺の音楽への関心を深めていたので、ジャイルスブルーイにいろんな疑問をぶつけることができたのは大きな収穫だった。

【画像を見る】日本人フォトジャーナリスト、キシ・ヤマモトが捉えた80年代UKの貴重写真

それらの対話を経て、僕は二人から得た情報も踏まえつつ、UKの音楽について引き続き調べていた。そんな時に、ばるぼらさんが『ZIGZAG EAST』という日本の雑誌がブリットファンク特集をしているとツイートしてたのを見かけて、すぐに古本を探して注文してみた。


『ZIGZAG EAST』No.2表紙

その後、しばらくして届いた『ZIGZAG EAST』No.2には驚いてしまった。1981年5月に出版されたその号の特集「大迫力で動き始めたブリティッシュ・ファンク」は、リンクスやフリーズなど当事者たちの証言がまとまっているだけでなく、リアルタイムに刊行されたとは思えぬほどの多角的な視点で、シーンを深く的確に掘り下げている。たとえばリンクスのヴォーカリスト、デイヴ・グラントの発言。

「僕たちがイギリスの文化に溶け込むためには、イギリス人以上にイギリス化しないといけないんだ。つまり僕たちはこの国に育ちながら西インド諸島人社会に暮してきた。保守的な家族制度と人種差別の中でね。その葛藤の中から何か心の拠り所を求めて、みんなはレゲエという音楽に走るんだ。(中略)つまり仲間を作る手段として音楽が使われているんだ。でもそれは間違っていると思う。音楽を社会的な、政治的なイデオロギーとして使ってはいけないと思うんだ。だってそんなことをしたら、音楽に制服を着せるようなものじゃないか。どうやって個性を表現したらいいんだい? そんな形の“心の拠り所”なんて必要だろうか? 僕にはとても疑問に思える」

ライト・オブ・ザ・ワールドのリーダー、ブリーズの発言も興味深い。

「ブリティッシュ・ファンクとアメリカン・ファンクの違いは歌詞にある。アメリカ人て必ずスペースとか宇宙のエネルギーみたいなことを歌うだろう?(中略)でも僕たちはそういう体験がない。だから僕たちはホーム・タウン、ロンドンのことや、自分たちの日常生活に密着したでき事を歌にしてるんだよ」

「レゲエ・キッズは大きな問題をかかえて生きている。イギリス人であることを恥じてるんだ。中にはイギリスに生まれ育ったのに、ジャマイカ生まれだって嘘をつく連中もいる。、イギリスという国やイギリス人と関わり合いを持つことを、最初から拒否しているんだ。それじゃいつまでたっても、白人と黒人のひずみは消えないと思う。(中略)でも僕たちファンクをやってる人間は、自分はイギリス人だとはっきりいうし、黒人として育ってきたことがどういうものかを説明しようという姿勢を持ってるよ。そうすることで、白人が黒人を理解できるようになるんだから」

ブリットファンクがUKカリビアン/アフリカン中心のムーブメントであること、USのアフロアメリカンとの違いや、カリブやアフリカからの移民であることの意味を炙り出すような記事のクオリティに、僕はいちいち興奮しながら読み進めた。40年前の記事なのに、未来からやってきた文章を読んでいるみたいだった。念のため付け加えておくと、当時ブリットファンクを把握していた日本の音楽雑誌は他に存在しないはずで、そう考えるとなおさら驚嘆に値する。


『ZIGZAG EAST』No.2 特集「大迫力で動き始めたブリティッシュ・ファンク」より引用

しかも、海外の音楽について鋭敏なアンテナを張っていた『ZIGZAG EAST』は、女性だけで作られていた雑誌でもあった。その名の通り、1969年に創刊されたイギリスのロック雑誌『ZIGZAG』の日本版である『ZIGZAG EAST』は、No.2の目次クレジットによると「責任編集 清水晶子」「スタッフ 小野町子・佐野恵津子・野間けい子」からなる編集部のほか、ロンドン支局から「KISHI YAMAMOTO」という人物も参加していた。先述のブリティッシュ・ファンク特集でも、多くの執筆・撮影を「KISHI YAMAMOTO」が手がけている。

ライターとしてもフォトグラファーとしても一級品、彼女はいったい何者なのか。検索してからすぐに、彼女の名前に見覚えがあることに気づいた。UKでフォトジャーナリストとして活動していたキシ・ヤマモトさんは、ポスト・パンク期におけるUKダブ/レゲエの伝説的レーベル、On-U Sound創始者エイドリアン・シャーウッドの元パートナーで、同レーベルの運営に携わりながら代表作のアートワークを手掛けてきた。彼女の写真はニューエイジ・ステッパーズ『Action Battlefield』など当時の象徴的なアルバムで使われている。さらにヤマモトさんは、ミュージシャンとして演奏や作曲/アレンジにも携わっていた。


ニュー・エイジ・ステッパーズ『Action Battlefield』ジャケット写真


リップ・リグ&パニック『God』、写真右の裏ジャケット写真はヤマモトが撮影(discogsより引用)

しかし、RedBullのインタビューで、エイドリアン・シャーウッドが「彼女(ヤマモト)は日本で雑誌に携わっていて、そのあと、僕たちは付き合うことになったんだ」と語っているのを除けば、彼女と『ZIGZAG EAST』にまつわる情報はどれだけネットを掘り返しても見つからない。今こそ話を聞くべきだと確信し、日本でのSTR4TAとON-Uの権利をもつBEATINKを通じてインタビューを申し込んだところ、ヤマモトさんは快く応じてくれた。『ZIGZAG EAST』立ち上げのいきさつ、ON-Uにまつわるエピソード、音楽業界を離れてからのキャリアまで、あまりにも興味深い話の連続。そこから僕は多くのヒントをもらった気がしている。

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