音楽における無音の効果的テクニック、シルク・ソニックなどの名曲から鳥居真道が徹底考察

ライブを観ているとき、曲が終わるたびに拍手がしたくなります。その拍手は必ずしも称賛を意味しません。出来不出来を問わず曲が終わればひとまず拍手がしたい。儀礼として拍手しているというわけでもありません。どちらかといえば、しないと気持ちが悪いので拍手がしたいのです。レシートを貰わないと気持ちが悪いのと近い感覚かもしれません。もっと具体的にいうと、曲が終わった後の静寂を拍手で埋めたいという欲求がそこにはあるように思います。

私は人から寡黙とか無口とか大人しいと形容されがちです。実際そのとおりで、あまり喋りません。会話にも積極的に参加しないタイプの人間です。kemioがおしゃべりな自分のことを「口から文化祭」と形容していましたが、私の場合はさしずめ「口から図書室」といったところでしょうか。

誰かと二人きりになったときなども話題が思いつかない場合など平気で黙っています。沈黙に気まずさを感じないわけでもありませんが、気合と根性さえあれば黙っていても意外となんとかなります。他方、決してお喋りが好きなわけではないが、沈黙が嫌で喋らずにはいられないというタイプの人もいらっしゃると思います。

シチュエーションにもよるのでしょうが、沈黙や静寂、無音は人に緊張を強いる面があるように感じます。個人的にはあまり得意ではないわいわいがやがやした居酒屋がこれほど市民権を得ているのは、賑やかさが人に解放感をもたらすからでしょう。居酒屋の騒々しさは、無音の緊張感と対極にあるものと見ることもできると思われます。

ギタリストとしてバンド活動に従事していると、どうしてもギターソロを弾かなければならない局面が訪れます。以前、ライブでほとんど音を出さない思わせぶりなソロを披露したことがありました。丁度キメッキメのギラギラした熱っぽいソロを弾くのを恥ずかしく感じていた時期だったので、なるべく弾かないで穏便に済まそうと考えたのです。結果として自分としてはなかなかおもしろいアプローチで突飛なソロが弾けたと感じていました。しかし、ライブ後の楽屋で弊バンドのボーカリストから「何の時間なのかわからない。不安になるからちゃんと弾いて」とクレームが入りました。

土屋昌巳がイギリスのバンドJAPANに参加したときに披露した「弾かないソロ」は、その筋では語り草になっています。文字通り一切ギターを弾かないし、ギターに触れることなくポーズを取ったまま微動だにしません。これは無音の気まずさを反転させたとてもラディカルでフレッシュなギターソロだと思います。

音楽は音を使った芸術です。むろん無音も音のバリエーションとしてそこに組み込まれています。私たちが普段感じているような無音がもたらす緊張感もひとつの素材として使われているといって良いでしょう。無音の緊張とそれに相対する弛緩の押し引きが駆動させているともいえます。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE