西岡恭蔵の軌跡、『プカプカ 西岡恭蔵伝』著者・中部博とたどる

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)





田家:1971年7月発売、ザ・ディランⅡの「プカプカ」アナログのシングル盤です。恭蔵さんは参加してなくて。大塚まさじさんが歌ってます。

中部:アナログ盤、僕も取材を始めてから初めて聞いたんですけれど、細野晴臣さんがベース弾いてるっていう噂ですね。なんかね、別の名前でクレジットしたそうで。

田家:細野さんと恭蔵さんの関係は来週のテーマでもあるんですけど、ってことは大塚まさじさんもこれを持ってないかもしれないのかな。

中部:持ってないかもしれないですね。

田家:大塚さんはFM COCOLO でも長くレギュラーをやってらっしゃいましたが、そんな話をいつか聞いてみたいなと思いました。で、これを聞いたときにどう思われたんですか。

中部:やっぱり人間ここまで優しく生きなければ生きられないのかなと。19歳ですからね。これから大人になっていくこともあるし、いろんな意味でのエネルギーもすごいし、女の子をすぐ好きになっちゃうし、当時『性と文化の革命』という本があって。

田家:岡林さんが曲のタイトルにもしましたね

中部:フロイトの弟子のライヒが、性の問題を自分の問題として解放していかなきゃいけないって話を書いていて。「プカプカ」ってまさにそういう歌なわけですよね。嫉妬とかはもちろん、女性を所有することとか。そういういろいろなことに対してどうなのかって疑問を突きつけられてる男の歌だから。それは同時代の中にもあったわけですよね。その辺でもここまで男はいかないと優しい人だと言われない、つまり平等ではなくなるみたいなことを、本当に若いから考えてたんだと思うんですよ。

田家:なるほどね。かなりカルチャーショック的な歌だったんだ(笑)。

中部:相当ショックを受けましたね。

田家:ディランⅡというグループ名は、大阪の難波元町にあった喫茶店ディランに集まっていた仲間が作ったから、こういうグループ名になった。バンドの名前を大塚さんがおつけになったっていうのは割と知られている話ですけど。開店した店のオーナーが、石村洋子さん。当時、23歳の方、その方にお会いになったんですよね。

中部:もちろん会いました。彼女が開店資金を持ってて、大塚さんはそれに何か喫茶店の学校に通っていた。

田家:喫茶学園ってお書きになってましたね。

中部:クラスメイトなんですよね。2人で始めたようなものなんでしょうけど。オーナーは洋子さんで、大塚さんは苦労なされたけれど楽しくなっちゃって、ディランという名前をつけて、フォークとかロックの人を集めようとしたんですね。それが当たったんですよね。だけど、だんだん壁を真っ黒に塗り、髪の毛の長い、ベルボトムジーンズをはいたが人たちが集まるような喫茶店になっちゃったって言ってましたね。最初はかわいらしい23歳の女性が作った喫茶店だったらしいんですよ。

田家:いつの間にか変わってしまったんだ。開店の日にちが1969年8月15日、この日にちは意味を持ってくるので、後ほど改めて伺おうとと思うんですが。喫茶店ディランに対して一番知りたかったことはどういうことだったんですか。

中部:やっぱりなんでそういう髪の毛の長い人たちが集まってきちゃうのかということがあって。それはまさに関西フォークっていう、当時関西フォークだって誰も思ってなかったって言ってましたけど、そういうすごいバックボーンがあったんですね。時代の流れで。

田家:中部さんが選ばれた今日の2曲目を聞いていただこうと思います。「俺達に明日はない」。この曲は知らなかったですが、今残っている最も古い恭蔵さんの音源なんだそうです。1969年、京都で行われた U R C の京都フォーク・キャンプでのライブです。

Rolling Stone Japan 編集部

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