西岡恭蔵の軌跡、『プカプカ 西岡恭蔵伝』著者・中部博とたどる

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)



悲しみを抱いた汽車 / オリジナル・ザ・ディラン

田家:流れてるのは、「悲しみを抱いた汽車」。1974年に発売になったオリジナル・ザ・ディラン『悲しみの街』の中に入ってました。これも歌ってるのは大塚まさじさんですね。

中部:このアルバムは西岡恭蔵さんもデビューをして、ザ・ディランII、大塚さんたちもデビューした後に作られてるんですね。昔ザ・ディランといったバンドで西岡さんが作って大塚さんが歌ってた歌をもう一度再生させようというので、オール大阪みたいな形で作ったアルバムなんですね。スタジオもそれまでは東京に録音しに行ってた。それ以外は放送局のスタジオを使って録音したこともあったらしいんですけど。ようやく大阪にデカいスタジオができて、そこでしかも大阪ミュージシャン全部やってるんですよね。ちょっとブルースっぽいんで、その後の憂歌団とか、スターキング・デリシャスの根っこになったんだと思う。石田長生さんもこの中に入ってるわけですから。その意味では大阪の音楽シーンの中では画期的なアルバムですね。

田家:このアルバムはプロデューサーが、恭蔵さん。

中部:恭蔵さんは大阪から東京へ、埼玉の入間へ来ちゃっているからしゃしゃり出てないんですよね。割とそういう人柄の人ですから。大阪の人たちが好きにやるっていうことを応援してる立場だったんじゃないですかね。

田家:さっき話に出た関西フォークですけど、中部さんは東京の出身なわけで、関西フォークに対してはどんなふうにご覧になってたんですか?

中部:これは岡林信康さんに全て集約されると思うんだけど、やっぱり得体の知れない大きな波が起きてるということですよね。東京では新宿西口のフォークの反戦集会が有名なんですけど、これは大阪スタートなんですよね。大阪のベトナム反戦運動やっている人たちが始めた。だからあの頃の若い人のカウンターカルチャーと言うか、独自のカルチャーはほとんどが大阪、西からやってきたんですよね。さっき話に出た URCは有名な関西方面の若者の音楽の本家みたいな、元祖みたいなところなんだけど、実は、西岡さんとか大塚さんのいたディランの喫茶店のグループとちょっと外れてるんですよ。

田家:五つの赤い風船とかじゃないですもんね。

中部:岡林さんとか高石ともやさんとかちょっと違うんですよ。そういう意味では最初からブルースっぽいっていうところがたぶん違うとこなんじゃないですかね。

田家:ひょっとして大塚まさじさんはこの放送をお聞きになってらっしゃるのかなと思いながらなんですけど、大塚さんと西岡さんの関係ってのはどんなふうに思われました?

中部:大塚さんから見れば先生ですよね、西岡さんが先生。先輩と先生一緒みたいで、ほとんど音楽のことは西岡さんから習ったって言ってますからね。西岡さんは非常に高校時代、むちゃくちゃ音楽に熱中して、ギターも相当上手かったらしいですね。だから、大塚さんは全部習った感じ。恭蔵さんは小学校のときから楽譜に慣れてる人なんで、高校時代には自分で楽譜を書いていた人で。それだけでも尊敬されちゃうって言ってますね。

田家:書く詞や曲も自分には書けないものがあるんで、それを歌うっていうことで始まったのがザ・ディランというバンドだったっていうことなんでしょうかね

中部:西岡さんは大塚さんの歌を非常に気に入ってたらしくて。だから大塚さんに歌わせる歌っていう意味もあったみたいですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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