西岡恭蔵の軌跡、『プカプカ 西岡恭蔵伝』著者・中部博とたどる



田家:1972年4月発売ディランⅡの『きのうの思い出に別れを告げるんだもの』。このアルバムに入っておりました「子供達の朝」。中部さんが最初に聞いた4曲の中の1曲で、初めて書いたルポルタージュにこの曲の詞を引用した、そういう曲ですね。

中部:これはね、すごく複雑な曲の作り方をする西岡さんらしい曲で、さっき少し話しましたけど、永山則夫っていう要するに「ピストル殺人鬼」と言われた人、この人は非常に複雑な人生、過酷な人生ですね。5歳の時に冬の北海道で親に捨てられる経験があったり、ずっと極貧の中で差別されて蔑まれて生きてきて、事件を起こした後に留置場で『無知の涙』という本を書きます。象徴的に言えば、人を殺してはいけないんだってことが、自分の人生にはなかったという社会を告発する本を獄中で書くわけですけれど、西岡さんは、つまり運命が自分ではなく社会や他の者によって歪められて定められてしまう過酷な生き方があるっていうのを、彼を通して知るんですよ。西岡さんは志摩の真珠養殖の大手の息子さんですから、長男で跡継ぎなんですよ。これは背負わされてるわけですよね。一度は大学卒業をする頃に音楽を諦めて自分の実家へ帰って跡を継ごうかなという気になるんですけど、そこから家出するんですね。

田家:大阪には家出同然で行って。

中部:その前にこの歌を作るんですよ。つまり運命を背負わされてる人たち、若者たちとして自分もいるんだと。もちろん恭蔵さんの場合は、差別されたり蔑まされたり、きつい体験はしてないですけど、やっぱり家族とか、そういうものによって定められてしまう運命をこの歌で歌ってるんですよね。だから西岡さんの歌の作り方ってものすごい複雑です。そういう意味では複雑に考えて、簡単にぽっと出してくるんだけれど、だからこの歌を西岡さんご本人は歌ってないんです、ご本人は。

田家:ザ・ディランIIのバージョンしかないんだ。

中部:ライブでもディランⅡが歌ってますけど、西岡さんの歌は僕は少なくとも聞いてない。どこかで歌ったかもしれないけど録音盤としては残ってないと思います。

田家:恭蔵さんは、志摩の真珠養殖で有名な“さきしま”で養殖の旧家だった、地元でも有名な立派なお家だった。

中部:だから、背負ってるものは大きかったですよね。自分の住む家を建てられちゃって、そこでご両親が後継になるのを待たれているわけですから。それから逃げ出すっていうのは並大抵の覚悟ではないし、そこから逃げちゃうんですけどね。

田家:跡継ぎを拒否して。

中部:裏切ってしまう。そういう生き方みたいなところもかなり真剣に考えてたんだと思うんですよ。突き詰めて考えてたんだと思う。

田家:これも中部さんがお書きになった言葉なんですが、恭蔵さんにとって喫茶店のディランはようやく見つけた居場所だった。

中部:そうなんですよ。大学に行ってフォーク・キャンプなんかの活動をしたり学生運動、ベトナム反戦運動をしたりするんですけど、どこも自分の居場所じゃなかったらしいんですね。ところがディランは心の居場所になった。常連になって毎日ようようにディランへ通った。ただ恭蔵さんってベラベラ喋る人じゃないですよね。黙ってみんなの話を聞いてるタイプなんだけれど、そこでは、お兄さん格だったんだと思うんですね。音楽の理論も詳しいし、何でここはこういうコード進行になるのかっていうのをみんなにちゃんと分析して教えてた。

田家:で、恭蔵さんのソロのファーストアルバムタイトルが『ディランにて』、「下町のディラン」。

Rolling Stone Japan 編集部

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