西岡恭蔵と細野晴臣の関係性、ノンフィクション作家・中部博とたどる

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)



街行き村行き / 西岡恭蔵

田家:この曲を選ばれているのは?

中部:恭蔵さんの1枚目の『ディランにて』はブルース、ロックっぽいものなんですけど、やっぱりどこか暗いんです。煮詰まっている感じがある。恭蔵さんはそれを1枚目で吐き出して、2枚目に向かったときに自分のサウンドを打ち立てようとするわけですよね。その代表的な曲がタイトル曲そのものですから。当時のファンとしては「街行き村行き」を聴いたときにホッとしました。明るい恭蔵さんがいるんだって。恭蔵さん側もポピュラーミュージック全体、アメリカンポップスにあるような明るい曲調を実は大変やりたかったというのがあったと思うんです。憧れとして細野晴臣さんが恭蔵さんの中にはいたんですよね。細野さんがいたはっぴいえんどは最初のLPはURCから出していて、わりと大阪でも知られてたバンドですよね。

田家:東京のはっぴいえんど、大阪のザ・ディランⅡって感じはありましたからね。

中部:URCで出しているアルバムでしたから、岡林信康さんが1番有名ですけど、はっぴいえんどは、URCの人たちのバックもたくさん引き受けて録音もやっているので。細野さんと西岡さんは面識があったらしいですね。そのサウンドに憧れていた。その後に今度は、西岡さんはベルウッドの仲間にもなるんですね。小室等さんと細野さんが親分みたいな。高田渡さんもいたのか。ちょっと西岡さんよりリードしていた人たちだけど、そこへの憧れもあったんだと思うんです。中でも細野さんが1番大きかったんだと思います。

田家:ザ・ディランⅡの「きのうの思い出に別れを告げるんだもの」のレコーディングの時にベルウッドの創始者・プロデューサーの三浦光紀さんがソロにならないかと言って、ソロアルバムが始まって。はっぴいえんどの解散コンサートが1973年9月21日文京公会堂、僕もいましたけど。あれはメンバー4人の今後の活動をプレゼンするコンサートで、大瀧詠一さんはココナッツバンクとシュガー・ベイブで、松本隆さんは南佳孝とムーンライダーズで。細野さんが恭蔵さんと吉田美奈子さんを紹介しているんですよね。そこで「街行き村行き」も演奏している。

中部:僕らはただのファンですから、細野さんと西岡恭蔵さんがなんで一緒にいるんだっていうのは、はっぴいえんど解散コンサートのアルバムでも分からなかったんです。なんでこんなところにいるんだろうって。

田家:しかもアルバム2枚別でしたしね。はっぴいえんどのライブと西岡さんたちのライブはね。

中部:そうなんですよ。後で聞いてみれば、要するに西岡さんが細野さんの歌を何曲か歌いたいと随分前から申し出ていた。たぶん、手紙を書かれていたと思うんですけど、そういう手紙類で細野さんが非常に感動していたらしいですね。

田家:本の中に三浦光紀さんの取材も丁寧になさっていて、三浦さんが「細野さんは恭蔵のアルバムづくりをべったりとやった。あんなに細野さんがべったりとかかわったアーティストは、僕が知るかぎり恭蔵以外にいない」というコメントが載っていますね。

中部:3枚プロデュース、共同制作というか、アレンジャーも含めて。3枚西岡さんのアルバムを細野さんがプロデュースしているんですよね。

田家:恭蔵さんと細野さんの間の何をお知りになりたかった。

中部:どうしてこの2人が仲良いのかが分からなかったんですよ。たぶんファンの人はみんなそうだったと思います、当時。なんでこの2人が知り合って一緒に音楽をやっているんだろうという感じすらしました。大阪と東京ですからね。だけど、一方的に西岡さんの想いはあったんだけども、細野さんも人柄をものすごく気に入っているとおっしゃっていました。人柄に打たれたと。音楽は技術じゃなくて人そのものが伝えることを西岡さんから学んだって細野さんが言うんです。

田家:その話も伺っていこうと思います。中部さんが選ばれた今日の2曲目、『街行き村行き』の中の「春一番」。

Rolling Stone Japan 編集部

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