西岡恭蔵と細野晴臣の関係性、ノンフィクション作家・中部博とたどる

踊り子ルイーズ / 西岡恭蔵

中部:これは金子マリさんが一緒に歌われているんですけど、シモキタ(下北沢)のジャニス。この人たちとも繋がっているんだというのは当時はなんとも思わなかったけど、今聞くと驚きですよね。

田家:演奏は鈴木茂とハックルバック、東京のミュージシャン、そこに石田長生さんも入っているわけで。

中部:本当に当時の才能がガーッと集まってきている感じがして、歴史的な曲が多い。曲を選ぶ時に、恭蔵さんのファンから怒られちゃうかもしれない。「他にもっといい曲がいっぱいあるだろう、有名な曲ばかり選ぶな」って言われちゃうかもしれないけど、大変なんですよ、選ぶ方もね(笑)。

田家:実はリスナーの方からメールをいただきまして、「高校生の時に女の子の友達と自転車で「踊り子ルイーズ」を2人で歌いながら走り回っていたんだ」という人から「本を買いました、読みました。知らないゾウさんがいっぱい載っていて、その子への年賀状に1月のLEGEND FORUM必ず聞きやと書いた」と連絡いただきました。

中部:かっこいい高校生ですね(笑)。

田家:今日、この曲を選んでおいてよかったなと思いましたけども(笑)。細野さんと恭蔵さんと言うと、とても大きな共通点が米軍ハウス。『プカプカ 西岡恭蔵伝』のプロローグにも出てくる話がありまして、『HOSONO HOUSE』。細野さんの「ろっかばいまいべいびい」が入ったアルバムも米軍ハウスでレコーディングしている。

中部:東京の衛星都市って当時は言われていて、ベッドタウンとも言われていたんですけど埼玉県の南の方にある入間。そこは陸軍とか航空隊の古い基地があって。そこにアメリカが突然現れる。朝鮮戦争も含めて戦争が拡大していく時に家族を連れてきて宿舎が足りなくなって、民間の業者に米軍用の一軒家を作らせるんですよね。それを駐留が終わってから日本の人たちが借りられるようになるんです。そうすると、ミュージシャンの人たちは音を出せるわけです。でかい一軒家でアメリカサイズの。それで人気があって、東京三多摩の福生派と、埼玉南部の入間と狭山派。細野さんは狭山にいらして、恭蔵さんは入間にいらした。

田家:小坂忠さんもそこにいたという。先週話に出ていたKUROさん。大阪から三浦さんの2DKの部屋に恭蔵さんを追っかけてきた。1972年12月に結婚して、1973年1月に上京、三鷹の6畳一間で暮らしていて、『街行き村行き』の時はそこに住んでいて、『ろっかばいまいべいびい』の時は米軍ハウスに越している。しかも第一子がジャケットに写っている。

中部:恭蔵さんの言葉で言うと風来坊をやめて、お父さんになった話なんだけども。KUROさんの恭蔵さんと一緒に生きていく力は相当大きくて、恭蔵さんもホッとしたんだと思います。風来坊ってつらいですからね。

田家:細野さんにも「風来坊」っていう歌がありますけどもね(笑)。

中部:それで入間でガッチリ根をおろして。後は押しも押されもせぬLPデビューの人ですからね。才能を認められた人として仕事も増えてきただろうし、一家を構えるという感じでしょうかね。

田家:そのアルバム『ろっかばいまいべいびい』からもう1曲聞いていただきます。「夢の時計台」。

Rolling Stone Japan 編集部

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