西岡恭蔵とKURO、世界旅行をしながら生み出した楽曲をたどる



中部:これは、恭蔵さんが作曲した歌じゃなくて、中川イサトさんが作曲をして、「KINTA」というクレジットになっていますけど上田賢一さんが作詞した曲なんですね。他の人の曲としては、細野さんに次いでこの歌を恭蔵さんは好きで、『南米旅行』にも入れているし、ベストアルバムにも入っているぐらいなので、自他共に認める好きな歌の内の1つだったと思います。

田家:『南米旅行』は10曲入っておりまして、7曲が旅行中に書かれたもので、この「今日はまるで日曜日」と「KUROのサンバ」と「アフリカの月」の3曲は旅行中に書いた曲ではないんですね。

中部:まあ、旅行も忙しかったんだと思うけど(笑)。だけど、旅行中に(曲づくりを)よくやりますよね。

田家:これも、本の中に書いてあったんですけど、最初の海外旅行というのは、結婚から2年目の南太平洋のニューカレドニアとニューヘブリデスに行っている。これは2人の2年遅れの新婚旅行か、休暇旅行だった。その時は具体的に音楽活動に反映されていないというふうにも。

中部:そうなんですよ。だからあらためて意図的に旅行して曲を作ることを始めた、一種の生産活動であるわけですよね。

田家:2人で旅をしながら曲を書こうやってことで旅をしていったんですね。当時の為替レートが260円で、決して安くない(笑)。

中部:それは安くないですよね。30ドルぐらいの安いホテルに泊まっただけで1万円近くになっちゃうわけですから。それができるのはこの2人の財力があるという、貯金通帳にお金がいっぱい入っていたんじゃないですかね(笑)。

田家:なるほどね。で、レコーディングを仕切ったのが先週も名前が出ていた阿部登さん。「春一番」を福岡風太さん、恭蔵さんたちとともに始めて、ザ・ディランⅡのマネージャーだった方。

中部:そうなんですよね。これも、行きあたりばったりの話で、スタジオもロサンゼルスに行ってから探して決めているんですよ。ミュージシャンなんかも人づてに聞いて決めているという、非常に大胆な……阿部さんって大胆な人ですよね。

田家:途中でお金が足りなくなったみたいな話も書かれてました。

中部:そうなんですよ。あとギターを忘れたって話もあって、日本に取りに行った人がいるという(笑)。相当な出費ですよ、たぶん。当時トリオレコードはこれから打って出るという感じのレコード会社じゃないですか。

田家:決して大きな会社ではなかったですしね。

中部:だから、これは恭蔵さんたちが自分たち(のお金で)でやろうと決めてやったんだと思います。こういうお金の使い方が恭蔵さんとKUROさんらしいという……音楽に使っていっちゃうということじゃないですかね。

田家:で、帰国した恭蔵さんが作ったバンドが「西岡恭蔵とカリブの嵐」。

中部:これも恭蔵さんはサウンドが好きなのとコーラスが好きなのがあって、いつか自分好みのバンドを作りたいってずっと思っていたと思うんです。旅シリーズが終わった後に、カリブの嵐と共にライブアルバムに挑戦しているんです。ミュージシャンとしては自分のサウンドが出来たら、それをライブでやってみる、ライブアルバムを作るのは1つの夢らしいですね。

田家:そのライブアルバムからお聴きいただきます。1977年9月9日、京都磔磔でのライブアルバムから、西岡恭蔵とカリブの嵐「アンナ」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE