西岡恭蔵とKURO、世界旅行をしながら生み出した楽曲をたどる

燃えるキングストン / 西岡恭蔵

田家:6枚目のアルバム『New York to Jamaica』から「燃えるキングストン」。Get Up, Stand Up、ボブ・マーリーですね、まさに。

中部:この頃、日本語をブルースやロックにのせるという1つの動きがグッと高まっていって、その流れの中でワールドミュージックに興味を持つという流れも1つあったんですよね。その中で、やっぱりレゲエが、なんと言っても日本のアーティストをすごく刺激したところはあると思う。で、恭蔵さんの場合は、レゲエ音楽を追って、また旅に出るんですよ。プエルトリコなんかは、行ってみたら全然違っていた、何かちょっとつらいみたいなことも日記に書いてあるんですけど(笑)。で、脱出するようにジャマイカに行って、ジャマイカも最初はなんか変だななんて言っているんだけども、リゾート地へ行って落ち着くと、音楽をものすごく楽しんでいますね。そこでラスタファリという彼らの地元の宗教も学んだりして、ボブ・マーリーの音楽と哲学に傾倒していく状態がこの旅行だったんですね。

田家:なるほどね。キングストンはジャマイカの首都なわけで、この曲のサブタイトルに「1980年夏のジャマイカに捧げる」と書いてありますが、この旅行は1980年の7月22日から1ヶ月間、ニューヨーク、プエルトリコ、ジャマイカ、LA……。この旅行記に「いつかニューヨークで4人で暮らせることを願って」と書いてあったんですね?

中部:書いてありましたね。だから、やっぱりどこか他の場所へ行って暮らしたいと思っていたんでしょうね。

田家:それを読んだとき、どう思われました?

中部:もっと刺激を受けてアウトプットしたい気持ちがもちろんあるんだろうし、それから日本の中では息苦しいところが常に自由を求めるアーティストにはあると思うんですよね。やっぱり別の場所で暮らしてみたかったということは恭蔵さんも思っていたんだと思います。

田家:もうこのときは、お子さんが2人いらしたわけですもんね。

中部:それでもこの2人は、もしチャンスがあったら行っちゃうタイプだと思いますけどね。

田家:そうでしょうね。来週、再来週にお話するようなことがなければ、そういう生活になったのかもしれないのですが……。これも、中部さんの旅行記の感想で、旅行記に歌づくりのことを書いていない、とありました

中部:いつ歌を作ったかということを今までの旅行記は書いていたんですけど、不思議なことにこの時は全然書いてないんですよ。いつどこで作ったかは分からないんですよね、このアルバム『New York to Jamaica』に関して言えば。

田家:でもその街のことはいろいろ書いてあったりするんだ。プエルトリコやニューヨークはどうだという。

中部:そうです。ジャマイカでリゾートホテルのレストランをはしごして、そこのバンドを聴いて回るという楽しみもしているんだけど、それで影響を受けて、こういうバンドをやろうって思ったりもするんですよ。だから影響を受けているんだけど、どこで歌を作ったかは書いていない。

田家:このアルバムのライナーはKUROさんが書いてたんですね。

中部:そうなんです。KUROさんが非常に積極的になって自分でお書きになっている。やっぱり世界の現実、ボブ・マーリーは政治的な現実の中でも生きてきた人だから、現実に対して何か言いたいことが大きくなっていった。世界の戦争の問題とか、抑圧の問題とか、差別の問題に(恭蔵さんもKUROさんも)言いたいことが多くなっていった時期なんじゃないかなと思います。

田家:自分たちの歌のことよりも、世の中のことの方に関心が移っていった、そちらの関心の方が強くなっていったと?

中部:レゲエを通じてそうなっていったと思いますね。恭蔵さんはもともとベトナム反戦運動に参加してた人ですから。

田家:それも本の最初の方にお書きになっていますね。

中部:世界を見て回ったときに敏感に反応したということなんだと思うんですよね。

田家:恭蔵さんとKUROさんのバランスが変わってきたことはあったんですかね。

中部:ええ。この先の話なんですけど、恭蔵さんが体調を崩していくというか、おそらく精神的な病(やまい)だったと思うんですね。

田家:その話は、曲の後にお聞きしましょうかね。中部さんが今日最後に選ばれた曲は、『New York to Jamaica』の中の「YELLOW MOON」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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