LOW IQ 01の青春時代「ストリートカルチャーの幕開け、1993年」

LOW IQ 01

LOW IQ 01のインタビュー連載企画「イッチャンの青春時代」。1992年を振り返った前回に続き、第11回は「1993年編」。イッチャンが過ごした1993年とは? 当時の世相とともに語り尽くします。

ー今回は1993年です。イチさん的に印象に残っている出来事はありますか?

前回、1992年が熱い年って言ったでしょ。1993年って俺的には落ち着いてる年……と、思ったら結構あったんです。アクロバットバンチの活動が安定してきて、「AIR JAM」の幕開け的な感じだった。Hi-STANDARDやCOKEHEAD HIPSTERSとかとよく対バンしていた年だね。

関連記事:LOW IQ 01の青春時代「音楽人生の中で一番熱い1992年」

ー僕もキッズの頃にそのあたりのライブをよく観に行ってました。他に世相的な面で何かありますか?

最初に印象に残っているのは船橋のスキー場ザウスができたことだね。スケーター、ボーダーファッションが人気だったと思うんだけど、『Fine』からだと思う。『Fine』で扱うものがサーフィンだけじゃなくて、だんだんスケーターが主になって、ストリートが市民権を得た感じ。80年代からのアメカジが軸になって、この時はたぶんオーバーサイズ。ブカブカ文化だよね。俺、デニムはリーバイスのサイズ40とか履いてた。あとニット帽とネックレスとかもつけたり。

ーパンクからミクスチャーに変わり始めた時期ですね。

アメリカのチャートもだいたい1993年からR&Bが強かったよね。

ー1993年からアイス・キューブをはじめとする黒人のヒップホップがチャートを賑わした世の中になっていました。

SUB POPも流行った時期だよね。俺のイメージ的に最初に会った頃の横山健ってグランジ的な感じで、ボロボロのデニムでヨレヨレのTシャツ着て、コンバースを履いてた。バットホール・サーファーズが1993年に川崎のCLUB CITTA’に来日して観に行ったのをすごく覚えてるんだよな。あとアクロバットバンチの元ベーシストが辞めて「自分のバンドをやりたい」って言い出して。そのバンドがバッド・ブレインズと当時のグランジを足した音楽性だった。カマドゲスってバンドなんだけど、俺も誘われてボーカルをやったりして。リーダーが岩手の人で、ご飯を炊く釜をひっくり返すという意味でカマドケス、親不孝者みたいな意味のバンド名。三軒茶屋のヘブンズドアでよくライブやってたな。1993年はバンドを2つやってたというのもあって、結構安定していた時期だと思ったのかもしれない。

ー他には音楽界で来日したアーティストで言うと、ボン・ジョヴィもです。

1993年はメインストリームというか、スタジアムクラスのバンドを1番聴かなくなった時代で、アメリカから来るインディー系のバンドが熱くなってる。レッド・ホット・チリ・ペッパーズとかビースティ・ボーイズはビッググループになっても聴いていたけどボン・ジョヴィは逆に聴いたことないというか、80年代のイメージなんだよね。前回も言ったけど、ロックバンドもストリート系の音楽に影響されてきてる。

ー渋谷クアトロでやっている海外アーティストだと、カーター・ユー・エス・エム、シュガー、レモンヘッズ、L7、ユージニアス、スーパースター、ペイヴメント、デ・ラ・ソウル、マッドハニー、ガンボウル、ジェリーフィッシュ、フガジ、パステルズみたいな感じですね。

フガジはブッチャーズとライブやってるんだよね。あと、L7が恵比寿ギルティでもHi-STANDARDとやってた。L7のイメージは速くないストリートっぽい演奏の荒いメタリカ。すげーかっこよくて、ちょうどその頃日本のバンドがオープニングアクトをやるようになってきているんだよね。ニューキーパイクスだったり、ハイスタだったり、ガーリックボイズとか。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE