田中宗一郎×小林祥晴「2021年ポップ・シーン総括対談:時代や場所から解き放たれ、ひたすら拡張し続ける現在」

左からテムズ、ウィズキッド(Photo by Joseph Okpako/WireImage)

音楽メディアThe Sign Magazineが監修し、海外のポップミュージックの「今」を伝える、音楽カルチャー誌Rolling Stone Japanの人気連載企画POP RULES THE WORLD。ここにお届けするのは、2021年12月25日発売号の誌面に掲載された田中宗一郎と小林祥晴による対談記事。テーマは2021年の音楽シーン総括だ。

本国Rolling Stone誌を筆頭に、もはやいくつ存在するのかわからない英語圏の音楽メディア、文化メディアが毎年恒例に発表する、それぞれのクリティックチャートは音楽ファンにとってはお楽しみであると同時に、見過ごしていた作品を再発見する絶好の機会だろう。だが、ソーシャルメディアやストリーミングサービスの浸透に伴って、もはやすべてが北米中心、英語圏中心だった時代は終わった。ひたすら拡張し続ける「全体」からあなたは何を見出すだろうか。ぜひPOP RULES THE WORLDが選んだ「2021年を象徴する100曲」のプレイリストと併せて楽しんでもらいたい。

POP RULES THE WORLD「2021年を象徴する100曲」

欧米中心のポップ音楽史観が解体され、
再定義が進む2020年代

小林:さて、今号は2021年の総括です。

田中:今年って国際的な政治的なバランスがかなり不安定になってきたでしょ。パンデミック初頭にアメリカと中国の通商協定が座礁したことが一番の発端なんだろうけど。ほら、11月にグラスゴーで開催されたCOP26に中国やロシアが参加しなかったり、プーチンがインドのナレンドラ・モディ首相に会いに行ったり。バイデン政権もトランプ政権とはまた別な意味でキナ臭いし、各国のパワーバランスや経済的、政治的な結びつきが変わってきてる。局地的な摩擦や、新たな繋がりが至るところにあって、全体を把握するのがすごく難しくて、これから先がまったく見通せないっていう。「これがどう転んでいくんだろう?」っていう薄っすらとした不安を誰もが抱えていると思うの。そういった感覚と、今年のポップ音楽の地図の広がりってどこか似てたような気もするんだよね。

小林:またとんでもないところから入りましたね(笑)。

田中:パンデミック以降の新しい地図が再構築されているっていうの? これからはもう世界大戦は起こらないけど、各ローカルでのテロや軍事侵略は続く。最近の話題だと、イラク難民がベラルーシを経由してポーランドに入ろうとして拒絶されるみたいな経済圏のブロック化や、地政学的な衝突があらゆる場所でモザイク状に起こり続けている。実際それが日本に暮らす自分の生活にも直接的な影響を及ぼすんだなっていう実感もある。「まあ、結局、日本はアメリカの植民地なんだから」って開き直る手もあるにはあるけど、これからはいろんな世界のローカルで起こっていることを追いかけながら、これまでと違ったパースペクティヴを持っていなきゃなんないのかな?という感覚がある。

小林:その感覚が2021年のポップミュージックの状況に近いっていうのは、具体的にはどういったところなんですか?

田中:もはや英語圏中心、北米中心の物の見方では現実を捉えることが完全に不可能になった、というごく当たり前の話(笑)。自分が物心ついた70年代からはずっとポップ音楽は産業的にも文化的にも北米中心で動いていて、そことイギリスを中心としたヨーロッパやアジアがどんな風にクロスオーヴァーしていくか? という視点で見ることも可能だった。でも、もう無理でしょ。

小林:それってタナソウさんにとっては厄介だなっていう実感が強い?

田中:そりゃ厄介だよ、面倒だもん(笑)。でも、これが現実だよね。

小林:例えば?

田中:一つの断面としては、例えば、一方でスペイン語圏の最大公約数であるグローバル・ポップスターの代表としてのラウ・アレハンドロがいて、もう一方には「スペインのドレイク」なんて風にも言われているマドリッド出身のラッパーのセー・タンガナがいる。でも、この両者の作品に優劣をつける明確な批評軸なんてあんのかな?っていう。

小林:確かに。因みにRolling Stoneの年間ベストではラウ・アレハンドロは第3位、セー・タンガナは第9位でしたね。

Rauw Alejandro - Todo de Ti



C. Tangana, Niño de Elche, La Hungara - Tú Me Dejaste De Querer



田中:21世紀になって完全にグローバルポップの共通言語と化したレゲトンのビートにどこか飽き飽きしてるせいなのか、ラウ・アレハンドロのアルバムに特に刺激は感じない。むしろ古くも新しくも感じられるスペイン語圏のビートやプロダクションを持ったセー・タンガナのアルバムの方に遥かに魅力を感じるんだよね。でもさ、「もはやレゲトンもトラップも8ビートもつまんない」みたいな自分自身の感覚を生み出してるのって何なんだろう?みたいなさ(笑)。

小林:まあ、究極的にはタナソウさんの主観ですよね。

田中:そう。「で、それって何か信憑性あんの?」って思っちゃうじゃん(笑)。

小林:ただ、こんなシンプルな見方も出来ますよね。つまり、2010年代はUSメインストリームがすべての中心になった時代で、非常にアメリカナイズが進んだディケイドだった。それに対する揺れ戻しがポップの世界で起こっている。ですよね? そう考えれば、セー・タンガナに興味が行ってしまうのはごく普通のことだと思いますよ。だって、2010年代に隆盛を極めた「このアーティストの新作は全米何位になったのか?」ということで、まずはある程度計られてしまう状況は、やっぱりかなり偏っていたと思いますし。

田中:そうだね。

小林:パンデミック以降のこの数年、USメインストリームの求心力が2010年代半ばと較べて低下したのは確か。また、それと並行して、TikTokのような新しいSNSやストリーミングの全世界的な浸透が進行した。その結果、いろんな地域のいろんなジャンルからいろんな面白い音楽が生まれているという現実に、人々の目が否応なしに向くようになってきた。そうなるとさらに価値観の複数化が顕在化していく。2010年代後半から進行が始まっていた状況が今年ぐらいから本格的に次のフェーズに進んだ感じ。素敵な2020年代の到来ですね(笑)。

田中:ただ同時に、70年代初頭にはごく普通に地上波のテレビで世界中の音楽を耳にすることが出来た。カンツォーネとかキューバのジャズとかコサック民謡とか。その感覚にも近いと言えば近い。まだ誰もが海外旅行が出来る時代でもなかったから、その疑似体験として音楽を通していろんな文化を見ているようなところもあった。イタリアのインディロックバンド、マネスキンの世界的なブレイクとか、それと似てるという気もして。

Måneskin - ZITTI E BUONI


田中:だから、今までの40年間の批評軸を解体して、再定義し、別のものに変えていかないと、自分の音楽批評家としての存在価値はなくなるんだなっていう気がしてるの。

小林:どこの国に住む人であれ、他の国や地域、あるいは他の価値観から生まれた音楽をエキゾチシズムとして消費しないで聴けるか、っていうことですよね? エキゾチシズムとして消費しないことが政治的に正しいことは理解できますけど、それは実際問題、簡単な話ではないですよね。

田中:ただ、問題意識としてそれを抱えておくのが重要な気がしてるの、今は。

小林:うん、それはわかります。

田中:21世紀に入ってから歴史という概念そのものが問い直されているわけじゃない? 為政者が作り上げてきた今までの歴史は偽りで、書き残されていない歴史がたくさんあるんだっていう。

小林:歴史とは決して単一のものではなく、実際はそれぞれのパースペクティヴの数だけ歴史は存在するっていう話ですよね。

田中:そうした意識は明らかに音楽批評の世界でも起こっていて。例えば、Pitchforkが改めて歴代ベストアルバム200枚を選んだ時もさ、アフロアメリカンの音楽だけじゃなくて、様々なローカルや人種の音楽も入れ込むことで、歴史の再定義を図っていたじゃない? だから、60年代のビートルズをポップ音楽全体の歴史の指標とするような視点というのはもはや過去のもので、これからはそういった歴史観そのものが解体されていく。それと同時に、自分の当事者性の在り方も変わっていくんだろうなっていう気がしている。

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