新進気鋭の若手俳優・須藤蓮が語る、「魂」を注ぎ込んだ初監督・主演作品への思い

須藤がフェイヴァリットに挙げるウォン・カーウァイや、トラン・アン・ユンの作品を彷彿とさせるコントラストの強い映像に、ヌーヴェルヴァーグ映画から飛び出してきたような登場人物たちのファッション、さらには心象風景を描くようなギターのアルペジオが、この作品のテーマである「永遠の一瞬」を彩っていく。

「コロナ禍で世の中がギスギスして、SNSを開けば毎日“正義”のぶつけ合いというか、意味と立ち位置の闘争みたいなものが繰り広げられていたじゃないですか。あれに心底疲れちゃって、『何の意味もない映画が作りたい』と思ったんです。あ、この映画が無意味というわけではなくて(笑)、意味に疲れない作品が作りたかったんですよね。例えば夏の陽光や、波しぶきの煌めき、氷が砕ける音みたいな、そんな“今、この瞬間”をフィルムに焼き付けたかった。そういうところから出発する映画を作ろうという話をあやさんとしていました」

そうした刹那的かつ美しい瞬間とは対照的に描かれるのが、まさに「正義」をぶつけ合うような、若者たちによる喧々諤々とした政治論争である。そして、これがあるからこそ、ただ水に飛び込んだり、タバコの煙を燻らせたりするだけのシーンがより美しく際立っている。



「政治論争のシーンも感覚的なショットも僕にとっては切実で。そういう自分の中にある世の中や正義に対する葛藤のようなものを、おっしゃるように“永遠の一瞬”が吹き飛ばしてくれないかなという気持ちがあったのかもしれないです」

それこそが、映画でしかなし得ないカタルシスともいえるだろう。しかも、吹き飛ばされるべきシーンもぞんざいに扱わず、細部まで細かく描き込んでいるからこそ「永遠の一瞬」にリアリティが宿っているのだ。

「実はあの論争シーン、『ワンダーウォール』のモデルになった京都大学吉田寮の方たちを呼んでいるんです。脚本には『核武装について論争する』とだけ書いてあったんですけど、自分自身も右とか左とかで割り切れない、ちょうどその狭間で揺れていた時期で。今よりももっと若い頃は、耳馴染みのいい言葉や政治的なイデオロギーにひたすら飛びついていたけど、実はその過程で排除したり攻撃していた意見もあったことに気がついて。割り切れるほど簡単な問題じゃないと思う、その“心の揺れ”をそのまま撮ってみようと思いました」

そうした須藤の心の揺れや割り切れなさは、登場人物たちにも投影されている。「物語が進むにつれて、見ている人の印象が変わっていくような作品にしたかった」と須藤は言う。

「例えば、冴えない女の子に見えていた文江(富山えり子)が実は、主人公・晃(須藤蓮)にとても信頼されていたり、誠実そうな印象だった吉岡(中崎敏)には、実は狡猾な側面があったり。天然キャラに見えたみーこ(木越明)が、ふと妖艶な表情を見せるように、人間ってそう簡単には割り切れないですよね。簡単に言語化できない“てざわり”のようなものを、この映画では表現したかった。だからこそ細部の描きこみにはものすごくこだわりました」

Photo = Mitsuru Nishimura  Styling = Tatsunoshin Takahashi (Foyer, FOL)

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