西岡恭蔵「病と闘いながら生み出した名曲の軌跡をたどる」

トラベリン・バンド / KYOZO & BUN

中部:この『トラベリン・バンド』というアルバムはちょっと不思議で、恭蔵さんは生きているときに12~13枚アルバムを出していますけど、これだけは、いわゆるインディーズなんですね。自分でZO RECORD(ゾーレコード)というのをつくって、そこから出しているんです。

田家:西岡恭蔵オフィスって自分の事務所なんですね。

中部:そうなんです。この頃はかなり健康を害されてきて、つらい状態になっていって、アルバムを出すということで自分の存在感を確かめていたんじゃないかなと思うんですよね。

田家:なるほどね。普通のレコード会社だと契約があったりして、いつまでに作らなきゃいけないみたいな縛りがありますからね。

中部:どうしてもこの時期にこのアルバムを出したいということで、自分で自分を鼓舞していたところもあるんだと思いますね。

田家:でも、この時期の恭蔵さんの日記は壮絶ですね。

中部:そう、この時期のものが、たまたま残っていたので読ませていただいたんだけれど、やっぱり命の危険みたいなことを自分で感じているところがあるので、読んでいてちょっと怖かったですね。

田家:ああ、怖かったですか。例えば、〈はたして唄が唄える様に、書ける様になるかどうか?〉とか、〈夕方、ベッドに横になり肺ガンになって死ねばいいと考える〉〈KUROに対して悪いなあと思う〉とか、そういうのがずっと並んでいるんですね。

中部:何百曲も作ってきた人が、作れないって言うんですよ。これはもうその心とか体を思うと、本当につらかったんだろうなと思います。

田家:中部さんはこの章をこういうふうに締めくくっています。「恭蔵は音楽活動を休止した。いまはもう、生きるために休まなければならなかった」。続きは来週ですね。ありがとうございました。


書籍『プカプカ 西岡恭蔵伝』表紙

Rolling Stone Japan 編集部

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