「だいぶ歌が上手くなりました。ここ2、3年で(笑)」(清春)
-僕も清春さんとここ何年かご一緒していますけど、最初に観たライブは1曲も知らなかったですから(笑)。“え、あのヒット曲やらないの!?”と思いました。
清春:僕の場合こだわってやっていないわけではなく、やれって言われたらいいよって感じなんだけど、普通にやらないだけ。曲を出して、それを世の中に定着させる何年間が無駄だと思ってる。だから、他と比べて分かりにくいんですよね。バンドもとっくに解散してるし。
-そうかもしれないですね。
清春:思い出を大事にする人たちにとっては、特に分かりづらいと思いますよ。“今こんなんなの!?”ってなるじゃん。よく昔のファンの人から 「歌すごい変わっちゃったね」とか、「声すごい枯れちゃったね」とか言われるんですけど、逆に昔の下手くそな歌でいいんだ?と思う(笑)。
DURAN:なんか、昔からすでに清春さんというブランドがありましたよね。すごく独特な感じがあったし。他と全然違いすぎて。
清春:だいぶ歌が上手くなりました、僕。ここ2、3年で(笑)。
DURAN:それがすごいですよ。
清春:ヴォーカリストって多分いろんな人がいるけど、歌が上手いから始めたっていう人が多いと思うんです。歌に自信があったから。その点で言うと、僕は自分の歌が上手いか下手か知らないところから始めていて。あとから聴いて“あ、こんな感じなんだ”っていう。それで歌っていくうちにだんだん得意なところが出来てきて、じゃあ今度は苦手なところを無くしていこう、くらいの感覚だったので。今の日本の音楽ファンと言われる人たちが「あの歌いいよね」って言うのって、結局上手い歌なんですよね。耳ざわりが良い歌。
-オリジナリティの部分で見ていないということですよね。
清春:うん。みんな同じ歌い方だし、特に近年は声が高いんだか甘いんだかハスキーなんだかくらいの違いじゃないですか? それが主流なのであれば、僕は分かりにくいんだろうなと思いますね、永遠に。
DURAN:永遠にって(笑)。
-DURANさんと組んだらさらに分かりにくくなっていくと思うんですけど。
DURAN:あはははは(笑)!
清春:そうそう。より分かりにくい(笑)。DURANの場合は上手いんだけどね。何でも出来ちゃうくらい。でも、嫌なものは嫌だという。
DURAN:何なんですかね。上手くなればカッコよくなれると思っちゃったんですよね、すげー若い頃に。
清春:やっぱりめちゃくちゃ練習したの?
DURAN:めちゃくちゃ練習しましたよ。スポーツみたいに死ぬほど弾きました。そうしたらカッコよくなれると思っていたんですよ。だけど、違ったんですよね。上手ければカッコよくなれるわけじゃなかったということに気づいてからは、何でもやる方向に行くのはちょっと違うなと。
清春:でもさ、間違えた時に急遽弾くフレーズとか、ああいうのは上手くないとできないじゃん。
DURAN:そこは助かっていますね。そういう野生の勘みたいなのは。
清春:つまずいた時に体勢を立て直すには技術がないと……って外国人のミュージシャンがよく言うよね。思っているフレーズがあっても、それを表現するのもスキルがないと出来ないし。ギターの人で上手くないのに味がある人っているけど、その点で言うと、DURANは味があってさらに上手い。だから、逆にDURANのギターを分からないのは音楽をあまり聴いてないのねって思っちゃう。そもそも、今の日本のリスナーが何を聴いているのかよく分からないけど。ギターロック風情とか、ラウドロック風情とかを本物として若者世間は捉えているわけじゃん。
-それ誰のことですか(笑)。
清春:よく分からない(笑)。それが日本に1個とか2個しかなければカッコいいけど、みんなそうだから。今売れている人たちの中で、知らないけど音を聴いて圧倒的にカッコいいと思える人ってあんまりいなくない? DURANってよく知らなくてもカッコいいっていう。