西岡恭蔵「最愛の妻・KUROとの別れから晩年のアルバムをたどる」

西岡恭蔵(photo by 北畠健三)

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年1月の特集は「西岡恭蔵」。2021年11月、小学館から書籍『プカプカ 西岡恭蔵伝』が発売。その著者、ノンフィクション作家・中部博を迎え、今年ソロデビュー50周年を迎える西岡恭蔵の軌跡をたどる。パート5のテーマは「晩年のアルバム」、最愛の妻・KUROとの別れから、西岡恭蔵自身が亡くなる1999年までのアルバムをたどる。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは西岡恭蔵さんの「プカプカ」。1972年7月に発売になったソロ1枚目のアルバム『ディランにて』の中の曲であります。

関連記事:西岡恭蔵「病と闘いながら生み出した名曲の軌跡をたどる」

プカプカ / 西岡恭蔵

今月2022年1月の特集は西岡恭蔵。ご紹介している本のタイトルが『プカプカ 西岡恭蔵伝』ですから、やっぱり最後はこの曲で終わろうということで、これを今週の前テーマにしました。今月はその本の著者、ノンフィクション作家・中部博さんをお迎えして、曲を選んでいただきながら、恭蔵さんの軌跡をたどり直しております。今週はパート5最終週「晩年のアルバム」です。こんばんは。

中部:こんばんは。

田家:今週は1993年のアルバム『スタート』と1997年のアルバム『Farewell Song』2枚のアルバムからお聴きいただこうと思うのですが、どんなアルバムですか?

中部:1993年の『スタート』は、病気で長い間活動を休止していた恭蔵さんが動き出すんですよね。それで、パッと溜めていたものを出したアルバムなんです。この時期、ちょうど大塚まさじさんとデュエットという2人組を作って旅回りをするんですけど、旅の途中で倒れたり、精神的に重くなってしまって動けなくなったりするところで『スタート』を作るんですよね。アルバムを作っている自分が存在証明だったと思うのです。

田家:1997年の『Farewell Song』はまさに最後のアルバム。

中部:これは『スタート』を作った後に、最愛のKUROさんががんで亡くなるんですよ。その後、さよならの歌を作るということなんだけど、まさに『Farewell Song』、さよならの歌なんですけど、これはもう傑作だとかなんとかと言うより、到達地点のアルバムじゃないですかね。

田家:なるほどね。あらためて本の話になるんですけど、取材の仕方としては、年代を追って取材していった感じだったんですか?

中部:まあ、それしかないですからね。それで積み重ねていくわけだけど、ずっと追いかけていく形です。じゃないと、前後関係が僕も分からなくなっちゃうから、追いかけていったんですけど、ところどころ残されていた日記とかを確認できたことが、非常に大きかったですね。

田家:最終章の時期を取材しているときはどんな気持ちでした?

中部:取材をしているときも恭蔵さんが1999年に亡くなるというのは分かっているわけですけれど。しかもそれが突然の自死であったということで、そこにたどり着いていくという結末は分かっているわけです。もう20年以上前の出来事ですから。それでも、「なぜ?」「どうして?」っていう気持ちはずっと起きてくるわけですよね。その答えを探しても、たぶんしょうがないんです。もう現実には結末が出ているわけですから……。

田家:その「なぜ?」「どうして?」の気持ちを今日はお話しいただきながら進めていこうと思います。中部さんが選ばれた今日の1曲目、1993年のアルバム『スタート』から「HEART TO HEART」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE