西岡恭蔵「最愛の妻・KUROとの別れから晩年のアルバムをたどる」

HEART TO HEART / 西岡恭蔵

中部:これは恭蔵さんが書いていることなんですけど、この曲はKUROさんの作詞で、恭蔵さんが作曲なんですけど、「これは僕らのイマジンだ」って書いているんですよ、ジョン・レノンさんの「イマジン」ですね。そういう意味で言っても、KUROさんと恭蔵さんの集大成的な音楽だったということになりますね。

田家:〈世界中それぞれの人に人生があるのさ〉。そして幸せと愛を歌って……。〈君が君を好きになれたら〉という歌詞は、じゃあKUROさんが恭蔵さんに向けて書いたのかなと思ったりしますね。

中部:そうですね。慰めているところが十分あるんですよね。

田家:『スタート』は12年振りのソロアルバムで当時恭蔵さんは44歳。先週も話に出ました、大塚まさじさんが東京に来られてから、恭蔵さんの一番親身な相談相手の1人になっていた、と。大塚さんが恭蔵さんに「1人で歌うのが怖い」と相談されていたというお話がありました。

中部:これも、記録では大塚さんがそういうふうに書いているんですよ。しかし、恭蔵さんの日記には「大塚から声がかかった」って書いてあるんですよ。「ゾウ(恭蔵)さん、一緒にやろうよ」と言われたと。本当にそのときは、恭蔵さんは助けを必要としていたときですからね。だから、それを大塚さんが察して、一緒にやろうよと言ってくれて、2人で旅に出るようになるんだけれど、まあ大変だったわけです。途中でゾウさんが具合悪くなるわけですから。

田家:なるほどね。まあ、そういう時期も経てのアルバムということになります。全員のクレジットも詳しく本の中に書かれていて、担当が大蔵(博)さんだったんですね。

中部:MIDIを作った方ですよね。ベルウッド時代から恭蔵さんと一緒に音楽を作ってこられた方で、非常にクールな人でね。恭蔵さんに対しても、仲の良い仲間なんだけど、かなりはっきりしたことを言う人だなというのは恭蔵さんの日記の中にも出てくるんですよ。「もうこの曲はやめろ」とか、「こういうことをやろう」というのを、大蔵さんというのはきちっと言う方だなと思いました。ただし、ものすごく最後の最後まで面倒見るんですよね。

田家:大蔵さんも亡くなってしまって。

中部:そうなんです。話が聞けなかったんです。

田家:このアルバム『スタート』の後に、阪神淡路大震災があるわけですが。

中部:ボランティアで大活躍を西岡さんはするんですね。神戸でコンサートをやったり、チャリティをやって100万円ぐらい寄付したりするんですよ。神戸が大好きで、神戸に通っていたんですね。恭蔵さんって港町が好きなんです。ちょっと都会の。

田家:なるほどね。それは志摩が海のある町だったということもあるんでしょうけどね。

中部:もちろん、そうだと思います。海が大好きで、やっぱり神戸の人たちが困っているときには、いの一番に駆けつけるタイプだったんです。

田家:それで、この阪神淡路大震災の2ヶ月後にKUROさんががんを発病してしまうのですが、その話は曲の後にまたお聞きしようと思います。今日の2曲目は1997年のアルバム『Farewell Song』の中の「I Wish」です。

Rolling Stone Japan 編集部

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