西岡恭蔵「最愛の妻・KUROとの別れから晩年のアルバムをたどる」

街角のアコーディオン / 西岡恭蔵

田家:すごい詞ですね。

中部:これも愛に溢れているとしか言いようがないです。あと、こういうヨーロッパっぽい曲調も恭蔵さんの中にはあるんですよね。本当に聴いている音楽の幅が広かったというのと、作りたい音楽の幅も広かったんだなと思いますね。

田家:「愛の讃歌」というシャンソンで有名な歌がありますけれども、訳詞が2種類あって。越路吹雪さんの訳詞は岩谷時子さんが訳されていて、それはとてもやさしい愛の歌なんですけど、原曲はこの「街角のアコーディオン」のように、空が落ちてこようと、大地が割れようと……みたいなとてもハードな歌詞だったりするんです。それに匹敵するものがある気がしましたね。

中部:詞を書くときの恭蔵さんは、このときはKUROさんの病気と闘っている状態で、こういうやさしさを発揮できちゃう人なんですよね。

田家:恭蔵さんの日記は、ノートに書かれているんでしょ?

中部:そうです。小ぶりのノートに書かれているんです。何冊かあって、ノートはあまり選んだりしないタイプで、ざっくばらんなところはあるんですけれども。作品帳もアラレちゃんの大学ノートみたいなのに書いてたりするので(笑)、わりとざっくばらんなんですよ、そういう意味ではね。

田家:ちゃんと日にちが書いてあって?

中部:びっしり書いてあります。

田家:1997年5月13日。これは手紙か。いろいろな人の手紙も本の中に出てきますよね。

中部:恭蔵さんは、手紙をものすごく書く人なんですね。何かあれば、必ず手紙を。だから、日本中のライブハウスに恭蔵さんの手紙っていっぱいあるらしいですよ。

田家:あ、そうなんですか!

中部:世話になった人には必ず手紙を出すという人なんですよ。本で紹介していたのはKUROさんが亡くなった後、30何日目かに書いた手紙なんですね。それは昔からの友だちに向かって書いた手紙なんだけれども、まだぼーっとしている感じなんです。悲しみの中にいるんだけど、まだ分からないみたいなことが延々と書いてあって……。ただ、生きようとしている力はそこからも感じられるんです、恭蔵さんはね。

田家:亡くなった後、大塚まさじさんの言葉も紹介されてましたけど、「意外にもゾウさんは元気に立ち振る舞っていたので、ぼくらは少しほっとしていた」と。

中部:本当に落ち込んでしまうのではないかという心配が周りにありましたし、KUROさんを追悼する意味でも、とにかく早くアルバムを作ろうとか、周りの人たちがものすごい気遣いをしているんですよ。気を遣っているとは見せないんだけど、周りの人が恭蔵さんに対して、さらにやさしいんですよ。「これもやったら? あれもやったら?」って言いながら、みんなで恭蔵さんを落ち込ませないようにするというか、気を遣っているんだけど遣っていることを感じさせない、すごくやさしい人たちです。

田家:そういう気遣いがあって生まれたのがこのアルバムでもあります。アルバムからもう1曲お聴きいただきます。中部さんが選ばれた今日の5曲目、「我が心のヤスガーズ・ファーム」。

Rolling Stone Japan 編集部

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